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「なんにもしてあげられないけれど」

桜は大方散った。雨が降る。藤の花の香りが雨に溶け込む。紫陽花の葉がしとどに濡れて。晴天も雨天も迷惑とは思わない。あの米津さんの歌は聴いたことがないけれど。燻らしても天使も悪魔も笑わない。ダン・ブラウンを久々に読みたいとふと思った。雨降る公園で、久々にここのnoteに綴りたいと思った。淹れてきたカフェラテが魔法瓶の中では未だ温かい。既に私の指先は大分冷えている。

先日何かが私の中で吹っ切れた。その前日の話。


60分。私が客の一人だったなら、120分のロングコースと60分のショートコース、何方を果たして選ぶだろうか。パネルマジック年齢詐欺フォトショ天国の博打世界。とりあえず、と60分で初めての娘に入るのか。それとも矢張り、本来のルールに則って、見栄もありつつ120分を予約するのか。間をとって無難に90分。少なくともこんなことを考えて天秤を揺らしている時点で、未だ粋な遊び方は出来る気がしない。
  

一目で、パワーの強い人だと思った。焼けた健康的な肌、何より真っ直ぐな黒い瞳。目は口ほどに物を言う、は正確には正しくないと思う。口よりも余程物を言う。目と目が合った瞬間と言うのなら、多分日本人的な私は何かが始まるのが遅いかもしれない。じっ、と見詰めることはあまりしない。知られたくないものも、知りたくないものも、多分互いに沢山あるのだから。


「どのくらい働いてるの」

開口よくある常套句。初めまして、なのだ。自ずとスタート地点の言葉は限られる。そこから少しずつ紆余曲折を経て、オリジナルな会話を重ねつつ、少しずつ距離が縮まって、そうして言葉だけでなく肌も重ねていくお風呂屋さん。ただし時々、言葉が肌以上に温もりをくれることがある。

私はいつも通りに自己紹介を兼ねてざっくりとした説明を答えた。こうこうこういう流れで今此処にいます。なるほどね、それで前職があれなんだね。そうなんです、あんまり普遍的なやり方じゃないけれど、これが私の肌には合っていたんです。


粗方話を進めれば立ち上がり服を脱ぎ風呂へと向かう筈の相手の足は、いつしか此方に向かって投げ出されていた。バスタオルの引かれた簡素なベッドは、自宅の馴染んだソファの様な位置付けになっていた。訥々と語る合間のテンポは関西人のそれより少しだけ遅くて、パワーの根底に優しさが大きく流れている人なのだと思った。
   

「なんにもしてあげられないけど」


60分の間に、何度も向けられた言葉だった。なんにもしてあげられないけど。その時点で、なんにもしてくれてるんですよ、と心の中で呟いた。最後には、言葉にして。肌が触れ合うには遠い距離だったけれど、その親身さはそれより近かったと思う。少なくとも、はじめましてからたったの一時間の出会いの齎す物よりは。


「他人事じゃなくってさ」


かつての奥様が、同じことで苦しんでいたのだという。そして、今も近しい人が。それでも、会ったばかりの私と彼女達を重ねてくれるその優しさが、人間としての距離感を保ちつつそれでも考えては提案してくれる言葉の数々が、確かに体温を宿していた。


此処に私が来た理由。数年前それを選んだ嗅覚も直感も、間違っていなかったと思う。小さな部屋で時折孤独に思いを巡らせることはあるけれど、こういう出会いと優しさに触れる度に、何度でもそう思うのだ。どれだけ刹那的で、一期一会で、一見何も残らなくても。その場凌ぎの風のように過ぎ去ってしまう仕事でも。


次の出勤時に、いつもの吉原弁財天へまた両目を合わせに行った。そういうものすべてに、ありがとうございます、と。その後ろで、いつものように金銀赤黒の鯉が留まる水の中で変わらず静かに泳いでいた。




出勤前に飲むコーヒー。ごちそうさまです。