台北旅行 一日目⑤ 台北駅~中正紀念堂手前

なおも歩き続ける

 西門を通り過ぎ、台北駅の地下街を見に行く。このあたりから一日目の記憶がすこしずつ怪しくなってくる。なにせ、朝からひたすら、歩き続けているのだ。グーグルマップのタイムライン機能によると、9時過ぎから3時間48分は歩いたことになっている。運動不足の身にとっては急にハードにウォーキングを始めたようなもので、膝はじわじわと笑いはじめ、足の裏はビリビリと痛みはじめた。前を行く二人は旅慣れた健脚でスタスタと進んでいくので、恥ずかしく、我慢してついていった。
 幹線道路を越え、細道を歩き、マップの示す台北駅の方向へ直線的に進んでいく。歩道脇のテナントにはおしゃれな喫茶店などが増えてきて、街並みが変わってきたなとキョロキョロしていると、アニメイトカフェがこんにちわ。HUNTER×HUNTERコラボカフェを開催中で、ガラス張りに、バリスタふうの衣装に身を包んだキャラクターのイラストが並んでいた。

 角を曲がってしばらくまっすぐ行くと、また別の大通りと、非常に開けたエリアにぶつかった。道路に沿うようにしてバス停もたくさん並んでおり、地下へと降りる階段も、その手前にあった。広場のずっと奥には巨大な寺院のような建物があり、どうやらそれが台北駅のようだった。もう歩きたくない、とにかくどこか新しい雰囲気の場所へ行きたかった私は、一直線に地下道へと向かった。

 思ってたんとちがう

 台北駅は街の中心的存在でとてもにぎわっていると聞いて期待していたが、時間が悪いのか、はたまたこの入り口が端の方だったからか、地下街は閑散としていた。テナントも、ちょくちょくスケルトンになっているか、シャッターが下りているところもあり、人通りも少なく、ただ移動のために通っているような人しかいなかった。あとからインターネットで調べてみても、どうにもこの閑古鳥の鳴いていた風景と、多種多様な商店でキラキラしている写真とが一致しない。もしかしたら、台北駅地下街だと思ってたけど全然違うエリアだったのかもしれない。
 

喉から手が出るほどだった休息(および作戦会議)

 閑古鳥エリアを通り過ぎれば、期待していたほどではないがそれなりに活気も見えてきた。すでに午後に入ってしばらくたつが、早めの時間に胡椒餅を食べたこともあり、おなかはあまり空いていなかった。いや正直なところ、自分は小腹が空いていたのだが、あとの二人はまったくそんなそぶりがなかった。
 私のつかれた様子を目ざとく把握していただいていたのか、「さすがにそろそろ、いったん休もうか」という話になり、休めそうな店を物色しはじめた。ファストフード店がそれなりにあったが、わざわざ台北まできてマクドナルドというのももったいない。しかし、しばらくうろうろと探してみたが、結局「上島珈琲店」を選んだ。上島に限らず日本の知名度あるチェーンはたいていどこでも見かけた。ちなみにコンビニはファミマが一強状態。
 
 入口横にすぐレジがあり、列は店内には形成しないようになっていた。空いている席を確認しに、一旦店内をのぞくと、かなり繁盛していたが、三人が座って休めそうな壁際のテーブルが空いていた。席を確保しつつ、交代で注文しにレジへ向かう。対応してくれたのは大学生ふうの女性店員で、わたしのブロークンイングリッシュでも、問題なくシュガーレスカフェラテを注文できた。二人はアイスコーヒーとミルクティーを注文していたとおもう。アイスコーヒーは銅のタンブラーに入ってきていて、びっくりするくらいキンキンに冷えていた。

 このまま中正紀念堂へ向かうのはいいとして、それでもまだ明るい時間なようだったので、中正紀念堂を見た後はバスで台北101へ行くことにした。できるだけ前情報を入れずに観光したいとおもっていたので、何やらタワーがすごいらしいという以外の情報は覚えないようにした。
 また、旅の前から、『千と千尋』の冒頭の神様の街のモデルになったという九份老街には行こうと決めてはいたが、二日目以降で天気のいい日に、ということしか決めていなかったので、この場で、明日行くことが決まった。

 

なおも、なおも歩き続ける

 30分強、上島珈琲で休憩して、我々が降りたところと正反対の入り口から地上へ戻った。台北駅とその周辺では、皆地下街か駅を通って移動するので、地上部の人通りは非常に少なかった。そして、通行する人が少ないからこそなのだろうが、かなりの数のホームレスが、アーケードの下で生活していた。ここまで来る途中にも、それなりの数のホームレスを見かけた。温かいので、風雨をしのげさえすればどこでも過ごせるようだ。台湾でもほとんどのホームレスが高齢者だが、ここ台北駅地上部では、3,40代くらいに見える男のホームレスもちらほら見かけた。

 このあたりは台北の街の政治的中心でもあるため、さまざまな官庁や行政施設が集まっていた。大きくて立派な建物に、達筆なフォントでその名前が標出されているので、どこもかなり威圧感があった。当然のことだが全て漢字なのもあり、「中華民国内政部警政署」などはもう、恐ろしいばかりであった。公安…ってコト?! 公安ということで、このあたりでは最高の治安を誇るからかだろう、向かいにはシェラトンのドデカいホテルが建っていた。
 シェラトンを通り過ぎ、角を曲がって南へ進む。「衛生福利部疾病管制署」に出会ったときには、ちょっと盛り上がった。なにせこのコロナ禍なので、とてつもなく忙しいに違いない、コロナ禍以前はきっと暇な部署だっただろうお気の毒に、などと勝手に、最前線で戦う人たちの苦労を知った気でおもしろがってしまった。

 ところで、休んだ甲斐もなくまたすぐに足の裏が、先ほどまでよりもさらに強く痛みだした。私はとうとう音を上げて、「いたいよ~」と情けない鳴き声を上げながら、信号待ちのたびに段差に腰掛けていた。ひたすら、中正紀念堂へ向かってまっすぐまっすぐ南へ歩いていく。中学、高校、そして大学のキャンパスなどが集まっているエリアで、学生らしき若者もそれなりに見かけた。中高の校舎は結構年季が入っていて、お世辞にもキレイとは言えなかったが、それがかえって、太い街路樹の木陰の路と調和していた。
 実際たいした時間歩いていたわけではないはずだが、永遠にも続くかと思った南下は、ついに、道の向こう、左右にひたすら伸びていく白く大きな壁につきあたって唐突に終わった。つまり、この長い壁の向こう側が中正紀念堂なのだ。あまりにも長く左右に伸びているため、いったいどれだけ広いのか、そもそも入り口はどこなのかと不安になりながらも、まあ壁伝いに行けばどこかから入れるやろと、関西人が至極楽観的かつ正論を繰り出してきたので、壁を左にしてまた歩き始めるのであった。

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