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【超絶まとめ】1日3時間労働で月商370万を超えるまでの全過程

こちらは、ぼくがこれまでやってきたことを時系列で無限に追記していく超絶お得なnoteです。現在は4万字。早めに買えば買うほど機会損失を防げます。

これから新たな挑戦をされる方は、ご自身のフェーズと照らし合わせることで、次のアクションのいいヒントになるかと。

# 本題

僕は現在、沖縄でのんびりと生活しながら暮らしています。

しかし、1年前は朝10:00に出社して、23:00に帰宅するという割と社畜な生活をしていました。

遊びに行く余裕もなく、常に睡眠不足でイライラ。パートナーにも優しくできない、全然イケていない男でした。

そんな自分と自分を取り巻く環境に嫌気がさし、働き方を大きく変えて、現在は1日3時間労働で月商290万に到達することができています。

思い切って行動した結果こうなったわけですが、効率の悪い働き方と向き合ってよかったなと。

現在は余った時間とお金をビジネスの勉強に使い、さらに効率が上がって働く必要がなくなるという好循環に入っています。僕はこれからも知識に投資し、さらにビジネスの効率を上げていくでしょう。

個人ビジネスに挑戦する前、僕はただの研究者でした。

ビジネス本なんて一切読まず、ニュースも見ない。ビジネスなんてどうでもいい。お金にもいっさい興味がない。自分の人生の方向性は大体決まった。

そういう思考の人間だったんです。

それが、ある事件がきっかけで大きく人生を変えることになりました。確かに辛いこともありましたが、それでも乗り越えられたのは、辛い時に励ましてくれた仲間や、導いてくれたメンターたちがいたからです。

そんな僕のストーリーを、これから語っていこうと思います。

今のあなたにはあまり想像できないかもしれませんが、アラサーからでも確実に人生は変えられます。それも、信じられないくらいいい方向に。

# ブログとプログラミングを始めたきっかけ(2016.3)

僕がブログを始めたのは父の自殺がきっかけです。それから親孝行できなかった自分に深く後悔し、残った母親だけでも大切にしようと地元の沖縄に帰ることを決意しました。

その際、場所を選ばず働けるスキルは何かと考えた時、真っ先に浮かんだのがネットビジネスです。

こちらは、当時から有名だったイケハヤさんの影響もあり、「ブログだったら稼げるかも?」と思い情報収集するようになりました。

その後、ヒトデさんや八木さんなどのスターが現れ始め、あらためてブログの持つ可能性に魅了されたんです。なので、ひとまずブログを一生懸命やって、自分の力で1円でもいいから稼げるようになろうと考えました。

また、プログラミングに関してもネット環境とパソコンさえあれば働けるということもあり、厳しい道だとは思いましたが挑戦してみることにしました。

最初は、プログラミング言語ではなく、マークアップ言語であるHTMLとCSSから始めたのですが、思いの外楽しく、どんどんのめり込んでいきました。

それからしばらくして、Rubyという言語に出会い、Railsエンジニアを目指すようになります。

この時の月商:0円

# 月に90本ブログ記事を書いて気づいたこと(2016.4)

実は、3年前の僕はめっちゃブログ記事を書いていました。

その当時、イケハヤさんは「1日10時間ブログを書ける根性がなければプロブロガーになるのは厳しい」みたいなことを言っていたので、その影響をもろに受け、仕事しながら1日3本くらい記事を書いていました。

平日は朝6時におきて1本執筆、それから会社に行って昼休みに下書きをiPhoneのメモ帳に書き、家に帰って2本執筆。休日はひたすらPCに張り付いて5~8本くらい執筆、という感じでした。

今考えると相当アホなことやってますし、努力の方向性は完全に間違えまくってますがwそれでもとてもいい経験をしたなと感じています。(あなたは別に経験しなくていいですよ、無駄なので)

学んだことは「間違った方向に努力するとどれだけ頑張っても結果は出ない」ということ。これを学べたのは大きかったですね。

あとは「ある程度続けていけば苦手なことでも得意になる」ということも学びました。そう。実は僕、文章書くのめっちゃ苦手だったんです、めんどくさいから。

ただ、記事を書きまくったおかげで今ではライティングスキルも飛躍的に向上し、文章だけでも飯が食えるようになりました。

ただ、このnoteを読んでいるあなたは僕の失敗から学び取ってもっと上手くマネタイズしてくださいね。月90本記事書いたからって稼げるようにはなりませんよ。

この時の月商:0円

# テックキャンプに通ってみて(2016.5)

ブログを2~3ヶ月運営してみて、そのカスタマイズなどでHTMLやCSSには少し慣れました。

そしてちょうどその頃「プログラミングをはじめよう」という池澤あやかさんの本に出会ったんです。

父が亡くなってから沖縄に帰ろうと決心したこともあり、ネット環境とパソコンさえあれば場所関係なく働くことができるプログラマーという仕事に興味を持ち始めていた僕は、この本を読んでからプログラミングの魅力にのめり込み、勉強を本格的にやるようになりました。

その中でProgateやドットインストールをやってみたり、Qiitaやそのほかのネット上のチュートリアルを見つけてやってみたり。

そして、色々とプログラミングをやっているうちに、広告やイケハヤさんの記事で「テックキャンプ」というスクールを見つけて通うことにしました。

今考えるとめっちゃイケハヤさんの影響受けてるなw

で、テックキャンプに通ってからは、平日は朝の1時間、お昼休憩の1時間、帰宅後の2時間を必ず勉強にあて、休日は6時間以上は必ず勉強しました。

その当時、プログラミングはかなり難しいと感じていたけど、なんとか根性で学習時間だけは確保して頭に叩き込んでいきます。

正直に言うと、マイグレーション、アソシエーション、O/Rマッパー、データベースの部分がかなり難しく、理解に苦しんでプログラミングが嫌になったこともありました。

しかし、それでも歯を食いしばって学習だけは辞めないようにしてきました。

その結果、1ヶ月の受講期間が終わるころにはなんとかカリキュラムの内容は理解できるようになり、少しはプログラマーとしての下地を築くことができたかなと考えています。

そうやって頑張ってカリキュラムをこなしたおかげか、テックキャンプのエバンジェリストにも選ばれ、テックキャンプの広報活動にも協力したりもしました。担当者と報酬未払いで揉めたりしましたが、それも今となってはいい思い出です。

この時の月商:約1000円

# 個人でプログラミング講師を始めた(2016.6)

テックキャンプのカリキュラムを修了後、僕はすぐにプログラミング講師として活動を始めました。

それが、RubyやRuby on Railsの学習を始めてからちょうど1ヶ月後のことです。

なぜこのようなスピード感でプログラミング講師を始めたのかというと、人に教えるのがいい経験になること、個人でまだプログラミング講師をやっている人が居なかったこと、アフィリエイトに依存しないビジネスが欲しかったことが理由です。

単純にいいポジショニングが取れると思ったから、初心者ながらプログラミング講師を始めました。

あとは、高校時代から同級生に数学を教えていたこともあり、人に教えるのは割と得意だったのも理由の一つです。

で、この判断は見事に功を奏し、初心者ながら生徒さんはどんどん集まっていきました。それが今でもプログラミング講師を続けるきっかけとなっています。

で、実際にどう言う風に人に教えていたのかと言うと、最初は無料で教えていました。

レッスン内容は、Rubyを使って「Hello World」を表示させたり、Railsの環境構築をすること。最初は本当にこの2点だけしか教えていませんでした。

「多くの人は、他人に教えるのにレベルの低い内容は教えることができない」と思うかもしれません。

しかし実際は、基礎的な部分だけでも思った以上に喜んでもらえるもんなんです。

環境構築やプログラミングの最初の一歩って、教えてもらわないとなかなか分からないことが多いですからね。

それをスクールで習うとなると十何万も払わなければいけない。でも僕に習うと無料で教えてもらえる。このお得感が最初にお客様の心を掴んだ要因でした。その当時ってわりと初心者向けの情報なかったんですよ、本当に。

で、それからだんだん自分が教えられる範囲が増えるにつれ、少しずつ料金を上げていきました。

無料の次は、2時間教える代わりにカフェでお茶を一杯おごってもらうようにし、その次は時給1000円くらいで教えるように。そうやってコツコツとプログラミングレッスンとプログラミング学習を続けていきました。

で、初心者の時にどのように生徒さんを集客していたかというと、それはオンラインサロンとブログを上手く活用していました。

まず、僕はその当時入っていたオンラインサロンで無料でプログラミングレッスンの募集をしました。そしたら、ありがたいことに5名の方々に申込みをいただいたんです。

そうやって生徒さんを獲得したら、次はそのレッスンの様子をブログで書いて宣伝しました。

この時点では、僕のブログは月に500~1000PVくらいしかなかったのですが、それでも簡単に集客はできました。

その勝因はいくつかあります。

まず、早い段階からブログとLINE@を併用し、きちんとリストを取得することを意識していたこと。そして次に、個人でプログラミング講師をやっている人がいなかったこと。最後に、プログラミング関連でもそこまでSEOに強い競合がいなかったことです。

つまり、しっかりとビジネスを意識して情報発信をやっていたことと、競合調査をしっかりとやり、自分が勝てる領域で勝負したことが簡単に集客をできた要因なのです。

この戦略が当たって、ど初心者にも関わらず、集客にはほとんど困りませんでした。もちろん、簡単に人が集まるからといって提供できる価値以上の料金はいただいていません。一度失った信頼は二度と取り戻せませんからね。

で、そうやって講師業を続けていったら、関東だけにとどまらず、大阪にも遠征してプログラミングを教えに行くようになったんです。

その時、発信力の素晴らしさと、色んな人から必要とされることの嬉しさを感じました。それが、今でも講師を続けるモチベーションに繋がっています。

# ブログ収益が5万円を超えた(2016.10)

プログラミング講師が少しずつ軌道に乗った頃、プログラミングスクール関連のアフィリエイトも売上が出るようになってきました。

その当時、僕はテックキャンプに通っていたので、その体験記を書いていたのですが、なんとそれが常に検索順位の5位以内に入っていたんです。そのおかげで、当時はポンポンと商品が売れました。

また、そのほかにはDIVE INTO CODEさんのプログラミング勉強会にも参加し、その体験記を書いたりもしていました。で、その記事でもまた検索順位の5位以内に入るようになり、思った以上に売れました。

その結果、ブログを始めてから半年くらいで月に5万円稼げるようになったんです。当時は自分の力で稼げるなんて夢にも思っていなかったので、5万円稼げただけでもかなりウハウハでしたね。この世の全てを手に入れたようなドヤ顔してました。

まぁ、最終的にテックキャンプは嫌いになったので、人にオススメできないと判断して記事は非公開にしたんですけどね。それでもアフィリエイトで稼げたのはいい思い出です。おかげで、会社に依存せず生きていく道筋が見えました。

# 研究者を辞めた(2017.1)

プログラミングを学び始めてから9ヶ月くらい経って、僕は6年続けた研究職をやめました。

研究職は大学院にまで進んで選んだ道です。だから、辞めるときはちょっとためらったんですよね。そこまでやって辞めるのは勿体無いと思ったし、研究自体は楽しかったから。

しかし、会社にはパワハラをする上司と、それを黙認する上司がいました。そんな上司達をみて、こういう風になりたいとも一切思わなかったし、これからも一緒に仕事をしたいとも一切思わなかったんです。

また、会社以外のレベルの高い社会人とたくさん会うようになってから、会社の上司達がものすごくちっぽけに見えたんですよね。「あっ、ここにいる意味はないな」と。そう思って研究職は割とあっさりやめました。

この判断は今でも大正解だと思っています。やっぱり外の世界をみてみるとめちゃくちゃ面白い人たちがたくさんいるし、そういう人たちと仕事をしたり切磋琢磨するのは死ぬほど楽しいんですよね。

僕の性格的に、大して優秀でもないのに偉そうにする奴らが居るのは許せないので、同じ会社で一生を過ごさなくて本当によかったなと感じました。

今でも全く後悔はしていないし、いい判断をしたと感じています。

# SESでJavaの研修を受けた(2017.2)

研究職をやめてからは、SESで2ヶ月ほどJavaの研修を受けました。そのときは給料を一切もらわずに研修を受けていたので金銭的にはかなりきつかったです。しかし、無料で研修を受けられるとのことなので、僕は黙って研修を受けていました。

今考えると、無給で2ヶ月間拘束されるので、条件的にはかなり搾取されていたなと感じます。まぁ、それもいい勉強になりました。情弱はこうやって搾取されていくんだと笑

この研修を受けるまで、僕はRubyを学んではいたんですが、それでもJavaはかなり難しく感じましたね。

研修では、変数、条件分岐、繰り返し、クラス、継承、インターフェース、ポリモーフィズム、セッション、クッキー、スレッド、ファイル読み込み・書き込みなどを学びぶことができ、意外と学習内容がしっかりしていました。JavaのフレームワークであるSpringを用いたMVCの概念やテストまで経験できましたからね。

この研修を通して、僕はプログラミングを理解するために必要な基礎を沢山学びました。これが今でもプログラマーとしての下地となっています。結果的に、Javaを学んでよかったなと思いました。

# SES時代(2017.4)

研修を受けてから2ヶ月後、僕は初めてエンジニアとして現場に派遣されます。

初めての現場は、電話センターで人事異動に伴うデータ移行をしていました。ただ、いざ現場に入ってみるとエンジニアというよりはエクセル職人的な業務。ひたすらエクセルでデータをいじるだけの仕事だったんです。

側から見ると凄くつまらない仕事に見えるかもしれないけど、個人的にこれはこれで楽しかったですね。今までずっと研究職やっていたからか、エクセルを朝から晩までいじったことなかったので、ショートカットキーや便利な関数を使うのが楽しくて色々と勉強しまくってました。

で、ただ業務を楽しんでいるだけじゃなくて人間的に大きな出会いもあったんですよね。1人で3人分以上の進捗を出すめちゃめちゃ優秀なベテランエンジニアさんがいて、その人から色んな話を聞いてスキルを盗みまくってました。

そして、そのベテランエンジニアさんから刺激を受けると同時に、スキルさえあればめちゃくちゃ活躍できると感じ、エンジニアの世界がめっちゃ刺激的で楽しいものだと知ったんです。

「俺もスキル次第でめちゃくちゃ活躍できるんじゃないか」って。エンジニアほど実力の差が激しい世界はそうそうないんじゃないかな。

とうわけでめちゃくちゃモチベーションが上がって、エクセル職人だろうがなんだろうが夢中で楽しんで仕事をやりました。

その結果、「かみざとさんがきてくれて本当に良かった」と言ってもらえたときは本当に嬉しかったですね。これがスキルで人の役に立つことなんだと感じました。

そして次の現場では、Windows アプリのテストエンジニアをやりました。そこでは、テストだけではなくテスト設計をしたり、サーバー構築やLAN設定など、インフラに関わる仕事もさせてもらえました。

この現場では技術的に学べることが非常に多く、SESもそんなに悪くはないなと感じることができた経験でした。

こちらでは半年ほど業務を通して経験を積み、得られることをひたすら夢中で吸収していきました。SES経験の中では、一番にお世話になった現場です。

しかし、3つめの現場ははっきり言ってクソでした。仕事内容もそうですが、それ以前に同僚のレベルが低く、刺激が一切なかったんです。

PMも仕事ができなかったのでもちろん現場は炎上していたんですが、僕はだいたい他の人の2~5倍の進捗を出して毎日定時で帰っていました。同僚は残業代をもらいたいがためにわざと仕事を遅らせるようなクソっぷりだったので、いくら大変そうにしてようが全く同情はしませんでしたね。

この現場を経験して、僕は自社への不信感が高まりました。

で、案件が途切れた期間に、自社の営業の人と自分のキャリアのことについて色々話しをしたんです。そうすると、「プログラマーになるためには2~3年のテスター経験が必要」と言われました。

しかし、その当時から多くのプログラマーと繋がっていた僕は、プログラマーになるためにそんなに長い期間が必要でないことは最初からわかっていたんです。

この営業が意図的に嘘をついているかどうかはわからないのですが、この話し合いを通して、ここに長くいるべきではないと感じました。

そんな矢先、プログラミングスクールへ出向の誘いがあり、SESのエンジニアとしてプログラミング講師をすることになりました。

そしてそこではいろんな言語を学びました。ざっと挙げるとこんな感じ。

・Java
・Swift
・PHP
・JavaScript
・SQL(Oracle、MySQL)
・VBA
・C

今になると、こんだけ色んな言語を同時に学ぶ経験なんて滅多にできないので、とてもありがたかったなと思います。おかげで頭はめっちゃパンクしそうでしたが。

このスクールでは、人に教えるノウハウを一通り盗もうと必死になって勉強しましたね。本当に朝から晩まで勉強漬けの日々でした。

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