見出し画像

論理人間が見つけた感情の世界の話

論理ロボットに感情が実装されてから1年がたった。
AIのことではなく、わたしのことだ。

感情2年生を迎えるにあたって、ずっと論理人間だったからこそ
以下の方程式から導き出される感情についてまとめておこうと思う。

感情がわかる自分 ー 感情のなかったころの自分 = 感情

これを読んで論理の住人が感情の世界というよくわからないものを、よくわからないなりに存在を一旦認められると嬉しい。
また、感情の住人が感情の世界の言語化に役立てればそれも嬉しい。

(注意:あくまで私の感情1年生として個人的に見えた視点です。
 日々成長中で、これが正しいとは全く思っていません。
 現時点の私から観測している事象です。

感情が実装された経緯についてはこちら

論理ロボットだった理由

私は幼少期から集団生活があまりうまくいかなかった。
それは正しく伝えることができていないからだと感じ、
論理による正しいコミュニケーションを一生懸命やった。
「感情的」という言葉はまるで正しくない人間のようで、駄目の烙印のような気がしていた。

しかし、みんなと生きるには論理だけでは不十分だった。
論理の住人同士なら、誰とも正しく話ができる。
でもこれだとあまり人と仲良くなれない。
というか「感情的」でないと「仲が良い」の定義がわからない。
ピンチなときに「俺はいいから先に行け」と言える関係性?
利害関係が一致していること?
論理人間だった時は「お金を1万円貸して返ってこなくても、嫌でない人」という定義をしていた。が、「嫌」も感情がないとわからない。
1万円普通に返してほしいもの。

感情の世界のパスポートを取得してからは、論理的に正しくないことも増えたし、色々と課題も残っているが、人との距離は近くなった(と感情的に思う)。

論理の世界とは、感情の世界とは

論理の世界とは、定義に従って正しいか正しくないか、またそのどちらでもないかが判別できるものとする。
この世界では必ず言語化ができるし、数値化でき、指標で追いかけることもできる。全ての言葉は、正しいと正しくないとそのどちらでもないに分けられる。なのでこの世界だけが全てだと思っていた。

だがもう1軸、感情の世界というものがあった。
この世界ではまず正しいことは最重要視されていない。
そして言語化も難しいし、定量的な数値でも追いかけられない。
正確には原因はあるにはあるし、言語化もできるが、超細かい因子が重なりに重なって、たまたまビックバンが起きたような天文学的確率の事象なので、その事件が起きた現場で議論するようなものじゃない、といったところか。

感情は言語化できません。で終わってしまってはしょうがないので、
あえてせっかく鍛えた論理の世界で言語化を試みよう。
言語化した時点でちょっと違うんだよなとなるとは思うのだが、誤解をおそれずチャレンジしてみる。

感情の世界では、基準となる指標は存在しないようだ。
その人の独断と偏見で好きなものに点数をつけることができる。その点数である根拠は言語化する必要がないし、その点数を相対的に比べた時に矛盾しても問題がない。
100点満点と感じれば100点満点。0点と感じれば0点だ。
例えば自分に点数をつけてみよう。根拠はいらないし、誰かと比べる必要もない。その思い浮かんだ数字で大丈夫。それが今のあなたの点数である。5万点の人もいるかもしれないし、マイナスな人もいるかもしれないが、それもOK。同様に任意のものに点数をつけて良い。
(根拠なしに数字を作れない私の仲間たちは50点ぐらいで仮置きしていてください。平均も標準偏差もないので、この点数に高いも低いも存在はしない点だけご注意を)

感情とはさながら株価のようなものを想像してほしい。私も株については詳しいことはわからないので、素人の思う株価の変動を考えてもらえると嬉しい。


こんな感じ

さきほど思い浮かべてもらったこの点数が一瞬一瞬で変動する。
変動要因が複雑すぎて、ずっと同じ点数にすることも、点数をあげることもできない。変動の因子自体は例えば以下のようなものが考えられる。

変動の因子

  • 本人:体調の良し悪し、性格、昨日まで起きていた出来事、未来への不安など。寝坊してしまった直後は自分の点数が下がるかもしれない。
    起こしてくれなかったお母さんの点数も下げてしまうかも。
    (下がらない人もいる)

  • 相手:初対面同士、先生と生徒、元恋人、好きな推しなど。その人のとる言動や、立っている場所などでも細かく変動している。他の人の点数が落ちていると、自分の点数もひっぱられて落ちてしまうような波及効果もある。リーマンショックが日本にも影響するようなイメージ。

  • 場:学校、部活動、職場、飲みの場、会議室など。厳しく怒られる職場の中では自分の点数をあげておくことは難しい。

これらが複雑に相互的に絡み合うことで感情の状態は目まぐるしく変化する。

論理の世界では寝坊してしまったとき、こう考える。
「寝坊しないように、昨日早めに寝ればよかったじゃん」
「アラームの回数をもう少し増やすことで次は改善できるかも」

間違いなく正しい。正しいけど、下がった株価に対して、何も意味をなさない。「安い時に買って高い時に売ればいいじゃん」ぐらい役に立たない。
正しいことを言われたことで余計に株価がさがってしまうかもしれない。
私たちの発言は、有力な投資家ぐらい影響力があるのだ

論理と感情は水と油のように相反し、混ざり合わない物だと思っていたが、
両方の世界をのぞいてみた結果、そんなことはない。

自分や相手、場の点数をさげずに、正しくすればよいのだ。

・・・どうやるか。その点数は他者の中にしか存在せず、一瞬一瞬で変わる為究極的な真実はわからない。パブロフの猫みたいなものだ。
決まった点数のあげかたもない。アイスを買ってあげるにしても、ダイエット中だということを伝えていたなら下がるかもしれない。下がり切っていたら何をやっても上がらないこともある。オイルショックのように全く事実と異なっても感情という物価が上がってしまうことだってある。

これから私が感じた論理の世界と感情の世界の特徴的な違いを3つ述べ、
感情の株価を(仮説ベースで)観測するきっかけの一助にしたい。

論理は後天的、感情は先天的

生まれてすぐに論理的に話せる人はいない。
赤ちゃんはよくわからず、泣いているし、
子どもたちはしょっちゅう喧嘩して感情をぶつけている。
論理はあくまで「大人になる」ために必要で、後天的に備わった物だと考える。そのため習得レベルには個人差があり、相手によっては伝わらない場合がある。

論理は聴覚的、感情は視覚的

感情が実装されて一番驚いたことは、今まで聴覚に頼り切っていたということだ。聴いた言葉は文字情報に変換され、構造的にまとめなおす、議論ゲームを進めるためのカードが手元には用意され、解決に必要な質問をしたり、意見を述べたりする。

ここに感情の株価は存在していない。
逆に言えば自分や他者の株価を問わず正しく話せる点で論理はすごい。
ただし先述したように誰しもできるものではない。

そこで視覚を使ってみると、言語以外の情報がたくさん抜け落ちていることがわかった。表情の変化や話者の視点、話していない人の首の角度(眠いのか、退屈なのか、落ち込んでいるのか)などそういった要素から相手がつけている株価がいつもより高そうか低そうかなんとなく察することができる。
ただし断定はできない。唯一自分ができることは、その相手や場に対して株価があがりそうだと思ったアクションを投げかけた際に、相手のリアクション(言葉、仕草)で仮説をより強固にすることはできる。
人数の増加によって因子は次数的に増えるので、5人も集まれば本当になんとなくでしか想像できないことがわかるだろう。

また、LINEなどの文字でのコミュニケーションはこの視覚情報がたくさん抜け落ちている。なので感情の世界では一生懸命絵文字やスタンプを多用して自分の状態を相手に伝えている。わざわざ打たなくてもいい「🌼」が文字の最後についているということは、「ただの可愛い装飾」ではなく、
「数ある絵文字の中から、🌼を選んで、この言葉に添えた」という意味である。例えば「ちょっと強い言葉に見えるかもしれないけど、怒ってないよ」という意味で、相手の株価を下げないようにしている配慮かもしれない。

論理は正確、感情は不正確だが
論理は長考、感情は一瞬

論理の素晴らしさは誰がどう読んでも正しく伝わることだろう。
「水は100℃で沸騰する」という言葉があれば、真偽はさておき同じ意味で伝わる。一方感情はその正確性がない。3秒後には変わっているかもしれないし、この感情の種類が怒っているのか、悲しいのか、不安なのかわからず戸惑うこともある。自分自身のことでもその株価の変化を正確に追いかけ続けることは難しい。

ただし論理は伝えるまでの時間がかかる。まず言葉を読み、その意味を正しく理解し、自分の考えを正しく整理して言語化、ようやくアウトプットをすることで伝える。感情は視覚情報なのでアイコンタクトだけでもなんとなくわかる。正確でなくても構わないので、居心地が悪そうにしていたら、目線を送ったり、あとから声をかけてあげてもよい。気づいているよというサインがあるだけでもその人の居心地は良くなるかもしれない。
下落を始めた感情の中では、必要なことはすぐ売って損切りをすることであり、なぜ下落しているのかゆっくり正しく捉えることは、今この一瞬では重要ではないのだ。

まとめ

感情による世界がどうやら、論理と異なる次元空間に広がっているようだと感じてもらえただろうか。まるで複素平面で積分しているような感覚だ。

論理の住人は是非正しいか正しくないかという考え方の前に一歩立ち止まって、相手の感情の株価を少し見るようにしてほしい。
正しい結論を出すことが、バブル崩壊へのとどめを指すことになるかもしれない。正しい結論をだすのは、もしかしたら来週でも1年後ではだめなのだろうか。一度間違ってみて、遠回りした方が株価はより高騰しているかもしれない。

あと株価が気になっても「今株価悪くなっている?」とその本人に確認はしない方が良いと思う。そこが観測できない難しいところで、大体の人はその発言によって株価が悪くなることのほうが多い気がする。せめて関係のない第三者に聞いてみることをおすすめする。

今回は感情1年生が論理の世界と感情の世界の違いを書いてみた。
他にも感情の世界で生きるからこその、生きやすさもいくつかあったり、
感情1年生としての、おそらく初歩的な悩みもでてきた。
また機会があれば投稿したい。


よろしければサポートお願いします!