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LIGHT UP NIPPONが始まった日

名実ともにLIGHT UP NIPPONが始まった日。

3.11.から「僕にしかできないこと」を探して,やっと見つかった!と思ってた花火。

2011/4/9〜10の週末に車で東北に行って,
「花火あげましょう!」と話していった…。
当たり前だけど,釜石で不謹慎だと相手にされず,
まだ遺体が残ってる、海と色んなものの混じった匂いに包まれた、たくさんの瓦礫の山の中で、
現実と自分のイメージの乖離に心がへし折れた。
カメラマンの AKI 君にケツを蹴られて、目覚めたものの、全く力が出なかった…。

でも、大槌でおかぁに会って、りょーすけにあって、神田さんにあって,色々あって、帰って来て,

思いっきりギアが入って,
仲間に話せて、動き出した日。

あれから12年も経ちました。

当時の仲間のほとんどが結婚したり,子供ができたり,仕事が変わったり…

僕も東北から遠く離れた場所にいるけど,あの時,あの場所で心の奥底で魂が動いた記憶は消えてなくて,
4/10の朝、大槌小学校で避難してる子供達を見て,校庭で神田さんに逢って、花火のことを話したら、間髪入れず、「やりましょうよ!」と言われたあの顔と言葉と空気の振動、震えは今もハッキリ覚えてる。

そのあと、震災から1か月しか経ってないのに「大丈夫ですか?疲れてないですか?」とアホみたいに聞いたら、「俺が疲れたって言ったら…ギリギリなんとか止まれるところでやってるょ。」と笑いながら話してた。

前日の夜に,家を全部流された小6のりょうすけに、「花火あげるぞ」と言ったら,「花火上がるの!!」と満面の笑みで笑ったのも忘れない。

桜を見ると2011年GWに、三浦さんと会って、話してた、大槌の桜をいつも思い出すし、走馬灯のようにLIGHT UP NIPPONで走った数年間が昨日みたいに蘇る。

8.11. 瓦礫の中でたくさんの観衆の前に止めた,トラックをステージに歌ってくれた森友嵐士さん。あの時,音楽の持ってる力を心から信じることができるようになった。

瓦礫の山の遥か上空に、大きくあがった花火。
神田さんの笑顔と涙とありがとう,
三浦さんの笑顔とダジャレ、おかぁの笑顔と涙、
りょーすけの笑顔!
そして、会場にいたたくさんの子供達の笑顔と歓声。

全部全部、いまもずっと大切な時に、
僕の脳裏に浮かび,ググッと背中を押してくれてる。

あの時の東北に比べれば,今の僕の悩みなんてだいぶちっぽけかも知れない。

でも、こんな素敵な島で,いまこの瞬間も苦しんでる、嫌な思いをしてる子供達がいて,また犠牲が出るかもしれないなら、絶対に止めなきゃいけない。

変えなきゃいけない。

また改めて「僕にしかできないこと」を探して、行動していく。

みんながもっともっとたくさん笑えるように。
さぁ、今日のこの日に、改めて,国境の島から…

日本を、笑顔で、元気に。
LIGHT UP NIPPON!


#半径2mを笑顔に
#笑顔で明るく

photo by Kenichi Aikawa

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