グレイトフル・デッドに学ぶ文化の創造
グレイトフル・デッドというアメリカのバンドが好きになって20年が経つ。
弟の友達のミュージシャンがCDやDVDを貸してくれたのがきっかけだ。
「これめちゃくちゃいいよ!」と勧められまずはDVDを視聴。
1991年ワシントンD.C.でのコンサート。
ボブ・ウィアーがギターのチューニング終わってないのに演奏が始まってしまう。しかし、ワイルドなショートパンツが気になる。
6本弦ベースを操るフィル・レッシュは現代音楽に造詣が深い切れ者。
ミッキー・ハートとビル・クレアッツマンのツインドラムの掛け合いが絶妙。慣れている感じがカッコいい。
この時はブルース・ボーンズビーが加入し、アコーディオンを楽しそうに演奏している。
皆んな楽しそうに演奏している。
なんて自由な音楽なんだ。
グレイトフル・デッドはアメリカの伝説的バンドで、デビューは1969年。前身のバンドから入れたらあのビートルズが活躍した60年代ともろに活動時期が被ってる。これだけ古い歴史があるのに、メンバーの生存者はまだ現役を続けているというから驚きだ。
グレイトフル・デッドのバンド名の意味は「感謝する死者」で、負債を抱えたまま埋葬されない死者のためにお金を出した旅人が以後不思議な幸運に見舞われるという仏典の話からつけられたバンド名という。
グレイトフル・デッドのメンバーの多くは今やこの「感謝する死者」だ。ボーカル・ギター、作曲を務めたリーダーであるジェリー・ガルシアは1995年に他界している。
「好きなことをやれば良い、そうすれば楽しいし、生きること自体が楽しくなってくる、要は人生を楽しむことだ」
これが彼の人生哲学。それを地でいくかのように、ライブでの曲目は決めずにステージに上がって演奏しながら決めていく。観衆の反応を見ながら変化していく演奏。そして曲の間に即興演奏(インプロゼーション)を入れてくるから曲の長さは決まってない。だから時には8時間に及ぶことのあったようで、付き合わされるファンも大変だったと推測される。
グレイトフル・デッドのファンのことを「デッド・ヘッズ」と呼び、彼らの人生はグレイトフル・デッドそのもの。
ツアーが始まると仕事を辞めて全米をバンドとともに移動生活に入る。バンド側も彼らがそれを可能とするためにヘッズたちが物販販売やツアーのサポートをすることで収入を確保出来るようにするなど、まさに一つの共同体を形成。
グレイトフル・デッドが行ったマーケティング術は何とも秀逸で、なんとライブは録音OKしかも、どんどんダビングしたり交換、シェアし合ってね!っとどんだけ太っ腹なんだ。ライブ会場にはファンのための録音専用ブースが設置されていた。
でもそれじゃあ、全然儲からないじゃないかと。事実レコードの売り上げはそれほど上がらない。
しかし、口コミでバンドの人気が広まり、コミュニティーを拡大させ、常に全米トップのライブによる興行収入を叩き出し続けた。
グレイトフル・デッドのメンバーをあの世に追いやったのはドラック中毒。1972年に初期メンバーのピッグペンが亡くなると、キース・ゴドショウ、ブレンド・ミドランドと歴代キーボード担当は次々とドラックであの世へ旅立った。ジェリー・ガルシアが亡くなったのもドラッグの更生施設だった。
グレイトフル・デッドの音楽はLSDというドラッグと切っても切り離せない関係で、まだLSDが合法だった時代から、薬物を使用した状態で音楽をプレイする実験的な取り組みを続けてきた経緯がある。これが禁止薬物となった後も、この探求は終わることがなく、彼らの音楽にとっての一つのテーマであった。
1995年にジェリー・ガルシアが亡くなった後、残されたメンバーはそれぞれ活動し、いくつかのバンドでグレイトフル・デッドの曲を演奏し続けた。それぞれジェリー・ガルシアの残した音楽を活かしていく方法を模索していたが、彼にとって代わるフロントマンは現れなかった。
ジェリーの死から20年が経った2015年。旧メンバーのボブ・ウィアーと音楽番組で共演したことがきっかけで、ジョン・メイアーが旧グレイトフル・デッドのメンバーとデッド&カンパニーというバンドを結成してツアーに出ることになる。
ジョン・メイアーはポップシンガー的な位置付けのアーティストだったため、役が務まるのかファンは疑ったが、その不安を見事に跳ね除けることになる。
メイアーはグレイトフル・デッドのファンだった訳ではなく、ストリーミングサービスでたまたま耳にしてハマったようで、まるで何かに導かれるかのようにして旧メンバーと出会い、そしてバンドに加入した。全力を注いで曲を覚え、ツアーに参加するとオーディエンスを圧倒する。
本当にグレイトフル・デッドが帰ってきたという衝撃で、人気絶頂時期と同じくらいチケットが売れた。
旧メンバーのフィル・レッシュは高齢のため参加しなかった。ボブ、ミッキー、ビルの結成メンバーは75〜80歳になる今年(2023年)も40代のメイアーとともにツアーに出ている。本当に凄いことだ。
信念を持って、信じてやり続けていれば、世代を跨いでも意思を受け継ぐ者が必ず出てくる。
長い歴史の中で様々な変遷があった。
ミッキー・ハートは金銭トラブルで一時期バンドから離れた時期があったがしばらくして戻ってきた。
70年代はキーボードのキース・ゴドショウの妻、ドナ・ゴドショウが加入し、女性ボーカルが華を添える時代もあった。
様々な時代を辿って、試行錯誤して残してきたものがある。
残してきた者。残された者と共に、意志を継ぐ者。
彼らはグレイトフル・デッド。
死者に感謝されつつ、こちらも死者に感謝を捧げる。
これからもその音楽は語り継がれると思われる。
信じてひたすらやり続けるからこそ、組織を超えて文化へと発展する。
彼らの残してくれた遺産は甚だ偉大であることを知るべきだろう。
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