見出し画像

愚人に褒められたるは第一のはぢなり

群衆をどれだけ集めても、数ほどの影響は皆無。相手にする労力や騒がしさ、必要なスペースやトラブル対応を考えるとむしろマイナス。
志ある者たちのみで集まるのが賢明で、楽に稼ごうとか、利益や見返りばかりを求める輩ばかり。

嘘大げさ紛らわしいマネタイズ表現で、良質のコンテンツが埋もれてる現状。自分がやりたいことが見つからず、手っ取り早くマネタイズしたい人々が徒党を組み、あやかりたい勢がさらに集まってくる。

孤独に病んでいる人や、癒しを求めている人がどれだけたくさん集まっても、心通わせたり、共鳴できないのでは仕方がない。健全な精神からのみ心揺さぶられる波動が広がる仕組み、病んでいてはそれもできない。

淀みのない純粋、混ざり物のないピュアであるから響く。つまるところ自分を癒す最善の方法は、自分を表現すること。周りの反応など気にもならないくらい夢中になれれば、結局一人でも大抵のことは乗り越えられる。

自分の好きなことや、仮に好きなことがないのならば、今すぐできる簡単なことからはじめればいい。それには必ずしもお金はかからない。

近くの公園に散歩に行く、コンビニでもいい、スタバや図書館やどこでもいい。海や川があるなら素晴らしいことだ。

自分の体験以外、気にしなくていいし、憶測でものを言うとお友達がいなくなる。周りは気にしなくていいから、自分の好きなことをしよう。

この世界で最も重要視されるのは体験。
新しいものや刺激的なもの。
それらを提供できたとき、自分も満たされる。

心動かす活動が巡り巡りて自分の心も動かす共鳴効果。
誰でもないうちから誰かの真似をしてもこの道理からは外れる。ただし、自分がすでに一門の人間であれば話は別。

そこで表現者同士の共鳴が生まれる。であればこそ、まずは自分が一門の人物になることが近道。
一門の人物への近道は誰も体験したことのないことをすること。つまり新しいことや、珍しいこと、刺激的なこと。

何も目新しいことである必要はない、面倒くさすぎて誰もやらないニッチなことがオススメ。誰からも非難されない割に、思いのほかたくさんの人に拡散してもらえるでしょう。

愚人に褒められたるは第一のはぢなり 

日蓮聖人御遺文「開目抄」
群衆とは、自分の心の騒がしさの投影に過ぎない

お門違いの性善説

身の程をわきまえる、の身の程ってどの程だろう?
身の丈を見きわめるのは? 分をわきまえるのは?
人を値踏みする輩こそ、何様?

表現者本人の資質とは無関係に受け手側の心理が重要。つまりは、多くの人に支持されているインフルエンサーであり、その中の一人になることが重要なのです。

もちろんそもそも立ち上げの段階で一定数以上人が集められないと、話にもならないのですが、初期投資によってこれは何とかなってしまうのではないかと思います。

最低限の予算をかける覚悟があって、数のために人を集める方法を厭わないというのであれば、いかようにもやり方は想像できます。そういった場所に実際に見学に行ってみれば、実情が見て取れると思います。

ライブ会場やスポーツイベントに行く人たちの群衆を見かけてどう思いました? つまりそういうこと。群集心理とはよく言ったものです。

人を集めないといけないビジネスモデルは、そもそもどうなのかという原始的なところを一度思いめぐらせてみてほしい。承認欲求なのか、生きるためにどうしても必要なことなのかを。

誰かに勝ちたい人なんてほとんどいないはず。有名になりたいのはどうしてなのか、生活のためならバイトじゃダメなの?

本当に自分がやりたいことって、必ずしもたくさんの人を集める必要がないことに気付けるはず。周りはいつだって、自分のことを理解しようともせず、それぞれが信じ思い込んでいる価値観を押し付けてくる。

「こうすると良いよ」「これこそが正しい」と。そうしたお門違いの意見を無視して自分の志を遂げてこそ、一門の人物になれるのだ。

いつも本当にありがとう。 これからも書くね。