”思いつき”定義集⑳「た」ー②
【多文化主義】”異質”を尊重しつつ共存共生を「是」とする思想・運動(程度の問題はさておき)。デモクラシーは必要条件だが十分条件ではない。ゆえに独裁・権威主義体制では原理的に唾棄すべきイデオロギーでありシステム。旧ソ連、中国のように多文化の尊重を偽装しつつ「異質」の抹殺に励んできた国もあれば、イスラエルやトルコのように真っ向から否定する国もある。もちろん異なる文化・宗教・慣習を否定し迫害する国や社会は数多にのぼる(ミャンマーのように軍事政権に多いのは言うまでもない)。
◆注:イスラエルの場合パレスチナ難民のことではなくイスラエル国籍を持つ非ユダヤ人を、トルコについては近年まで存在自体を否定されてきたクルド人を念頭している。
◆注:そもそも近現代の歴史は「多文化」それ自体を血眼になって葬り去ろうとする試みに彩られてきた。その先陣がスペイン、ポルトガル、オランダであり、その後のイギリスやフランスであり日本であったことも忘れてはならない。
ただ、制度的にこれが全うに機能しうるのか異論のあるところ。アメリカの場合アファーマティヴ・アクション(積極的差別是正措置)――例えば大学入学際して一定の黒人枠を設ける――を掲げ実践してきた国でも「逆差別だ」との声は収まらず、白人至上主義者からすれば愚の骨頂にすぎない。
移民国家としてのアメリカ、カナダ、オーストラリアなどの多文化主義も「必要悪」「余儀なくされている」との趣を拭い得ない。併せて白人至上主義、白豪主義の根強さ。ヘイト・クライムが無くなることはゼロ・パーセントに近い希望的観測。
◆推し文献:ケイト=ダリアン・スミス、有満保江=編『ダイヤモンド・ドッグ――〈多文化を映す〉現代オーストラリア短編小説集』(現代企画室、2008年)、ジュリア・クリステヴァ『外国人』(法政大学出版局、1990年)、トーマス・ハンター『永住市民(デニズン)と国民国家――定住外国人の政治参加』(明石書店、1999年)、アンドレア・センプリーニ『多文化主義とは何か』(文庫クセジュ、2003年)などなど枚挙に暇なし。
【たかが】「取るに足らない」という意味だが「されど」との呼応関係は見逃せない。価値の相対性を示唆しているから。例えばAにとってBがゴミであってもCにとっては最大限守りたいものであるかもしれない。つまり「尊さ」に寄せる思いに同形なるものは何一つないということ。とまれAにとってのBが人間ではないことが最重要。
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