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資本主義は行き止まりか曲がり角か

アイデア資本主義という本を手に取った。たしかどこかのTwitterで見た影響だ。

先立つ自分の心情として、
脱・資本主義の風潮に対して、現代の人間が、急に目覚めて急転回するなんてあまり想像がつかない。大いに問題があることは認めつつ、長年の英知とは言わなくとも、積み重ねが今の社会システムで、そこにはある合理性がある。課題が可視化されてきたこの先、どう積み重ねるか、の話であって、全てをひっくり返すようなものではないように感じている。

感情的に言うと、脱・資本主義には、過去の否定のニュアンスを感じてしまって、正しいと思う反面、そちらにすんなり乗り換えることができない。それではもうどうにもならないのかもしれないけれど、なんとか、良いアップデートがあったらいいなと思っている。

資本主義は根源的な人の性質

この本で言うように、資本主義というのが、ここ最近(200年くらい)の社会システムの流行りではなく、ミクロな人の行動の原理となる心的傾向から、資本主義を定義するアプローチ、今が、人々のよりよく生きようとする生き方の結果の集合体、と考える気持ちにマッチする。それが上手くいっていないだけなんだろうな。

心的傾向がどこからきているのか、も説明してくれている。計算可能性が資本主義を可能にする源泉というのは理解できる。
反対に、十分に複雑な計算可能に見えない事象が増えると、この前提は覆るのかな?機械の心の話も同じだと思うけれど、人が計算可能と思える程度の複雑さ、という至極人間的な都合による線引きが、何かの定義に加わってしまうとすっきりしないものを感じてしまいますな。

頭の中へ広がる資本主義

さて話を本の内容に戻すと、フロンティア(土地だけでなく、時間などにもフロンティアがあり、それがなくなってきた、という話はおもしろい)がなくなってきた現代において、さらに広がる先を求めると、それは(宇宙とかサイバー空間を目指す向きもあるが)アイデアであると。

フロンティアが消失に応じて、お金の行き場がなくなって、頭の中だけにあるアイデアに投資があつまるようになっている。期待が価値になるという現状(例えば生産台数で劣るTeslaが時価総額でTOYOTAを超える)からも、窺えるなぁ。

アイデアを形にするためにお金が集まってくる、という、まずは先立つものから、となっていた仕組みから変化が見られつつある。だからアイデアを生むのが強い、と。そうやってアイデアをみんなで生んで社会を良い方向に進めようと結ばれている。

資本主義でもいいけど、どこへ行く

良い方向ってなんだ。
ひとつは、なんでもいいから各人の思いや願いが叶う方向へ、というのも答えかな、と思う。そのために必要な資本(お金だけではなく実現に必要な道具なども)が自由に与えられるようになると、想像力が創造力に直接つながれば、それぞれが望んだ形になるのかもしれない。

そうは言っても、何か大きな方向として、物質的、あるいはいわゆる経済的な発展を追いかけるのではなく、文化的、精神的な豊かさを求めようということを共有出来たりしないだろうか。ということも考える。

これは昔の記事の焼き直しで何度も考えていることだけれど。

変わっていくのか、変わるのか

この本は自分にとっては、結局のところ、この時考えていたことの焼き直しというか、補強的な意味合いかな、と感じている。

ただ、こういう風に何度か同じようなことを繰り返し考えながら、最近のもっぱらの気になる点は、どれも正しいし、そうなった方がいいし、そうなるのだろうと思っているけれど、そう思っている人はリアルには多くなくて、いったい、いつどうやってかわっていくのだろうか、ということ。

勝手な考えだけれども、びっくりするくらい時代錯誤(個人の主観です)な人たちがたくさんいて、そんな人たち(年配の男性で社会的に高い立場にある人に限ってそうだったりする。とあえて偏見を文字にしておく)変わりっこないと諦めに似た気持ちも強くあり。一人一人の心構えなんかでは変わらないとするならば、何か画期的なアイテムが登場して世界を変えていくことを期待する気持ちもある。
だけれども、それがある特定の天才的な誰かのアイデアだったりして、その人は億万長者になったりしていては、結局、お金中心や資本主義は変わっていないような気もする。

消極的選択だとは思いつつも、革命ではなく、できる中でアップデートをするしかないのかなぁ、と思いながら日々を暮らしている。

#豊かさってなんだろう   #資本主義   

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