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「いま」輝く人になる

ただ〝過去の栄光話〟をひけらかすのは感心しません。
<省略>
そういう人はみんなで集まるたびに同じ話をする傾向があるので、最初は「すごいね」と聞いてくれても、だんだん遠ざけられます。おそらく潜在意識に、「自分は偉かったんだぞ。一目置けよ」と思わせたい気持ちがあるのでしょう。しかし周囲は一目置くどころか、「いま、語ることがないんだな。過去にしがみつくしかないんだな」と憐れむだけ。せっかくの栄光もくすんでしまいます。「過去の栄光」など捨てて、いま輝く人になりましょう。

枡野俊明「小さな悟り」p179 三笠書房

過去の栄光は「いい気持ち」

「過去の栄光」と思えることはよく覚えている
人に話すときは誰もが「いい気持ち」になるだろう
記憶も2~3割増しの栄光になりやすいかもしれない
若くても、年をとっても、物忘れがすすんでも
「過去の栄光」は気持ちよく話せて「すごいね」って反応は嬉しい

輝き疲れてくると、過去の栄光で気持ちよくなりたいんですよね
そんなものかもしれないですね


一段落したあと何したらいいの?

退職したら、もう頑張ったし人生の輝きも終わり
加齢とともに体力の衰えや病気に悩んだり
そんな気持ちになる人は多いのだろうか
「過去の栄光話」にしがみつきたくなる人もいるだろう
今からやったこともない何かを始めるのもハードルが高い
昭和時代を生きた人は、男性は「仕事一筋」、女性は「子育てや家事」
そんな価値観を持たされてきた人も少なくないだろう
仕事や子育てが一段落したときに
ぽっかり穴が開いたようになるのかもしれない

輝きに年齢は関係ない

時代もかわり「仕事」「家事」「子育て」など一人で抱え込まない
家族や友人や職場や社会で助け合う考えへとシフト
自分時間も大切にする考えが尊重されるようになってきた
主になる何かをしながら趣味や副業を楽しむことが当たり前になってきた
そうではない考えもまだまだ多いけれど
趣味を持ちやすくなったとは思う
楽しいと思えることがあることはとてもいい
年齢に関係なく「輝ける」
没頭できたり、楽しめたり、新たに身につけたり、何かに役立てたり
興味をもってやってみようとするか
興味はなく暇だから無理にやると思うのかで
楽しみ方の差が大きくなるし
人生の輝きも年齢に関係なくなる


自分が輝こうと思えばいい

楽しく打ち込めていることがいくつかある
・鼻笛
・ウクレレ弾き語り
・鍵盤ハーモニカ
・書道
・アウトプット(note,stand fm)
・動画編集
・ボランティア
「暇な人はいいね」と言われたこともある
「ボランティアは申し訳ない」と言われたこともある
声をかけてくれる人の価値基準で「いい」「申し訳ない」なのだが
「いい」「悪い」関係なく、どれも有意義で楽しめている
やってみたいと思うことへのチャレンジが「輝く」こと
じゃないかな

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