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ピアソラ、ピアソラ以外を弾く

ピアソラは自分の作品しか演奏していなかった、というようなイメージはありませんか?或いはピアソラは古いタンゴを全否定して自らの新しいタンゴを世に問うた、とか。実際には、1960年代半ばまでは他者の作品も多数取り上げていましたし、それ以後も数は少なくても古いタンゴを愛情をもって演奏した録音が残されています。

今回、そんな演奏を集めたプレイリストを作ってみました。ピアソラと古いタンゴとのつながり、あるいはピアソラと同様の志で新しいタンゴを創ってきた作曲家たちの音楽を感じていただければ嬉しいです。

以下曲目とコメント。

  1. El Recodo 曲がり角 (アレハンドロ・ジュニッシ作曲) / Astor Piazzolla y su Orquesta Típica (1946, SP盤)
    アストル・ピアソラの自身の楽団最初の録音。カルロス・ディ・サルリ、ロドルフォ・ビアジ、フアン・ダリエンソらの名演でも知られる曲です。バンドネオン変奏の音使いはちょっと異様なものがありますが、強靭なリズムが特徴のこの曲に独特のスイング感をプラスした演奏は、骨太で聴きごたえがあります。

  2. Todo Corazón 心のすべて (フリオ・デ・カロ作曲) / Astor Piazzolla y su Orquesta Típica (1948, SP盤)
    現代につながるタンゴのベースを作ったフリオ・デ・カロの作品。デ・カロの音楽はアニバル・トロイロ、オスバルド・プグリエーセ等多くのタンゴの巨匠に受け継がれています。ピアソラもまたその系譜につながる一人であり、後年彼に捧げて「デカリシモ」という曲を書いています (私の好きなピアソラ でも取り上げました)。この曲は美しくロマンティックなメロディが印象的です。

  3. Mi Tentasion わが欲望 (ラモン・シロエ、J・モラネス作曲) / Astor Piazzolla (1955, “Sinfonia de Tango” 収録)
    クラシック作曲家を目指してのパリ留学中にマリア・ブーランジェの慧眼によってタンゴに目覚めたピアソラがパリで録音した中の1曲。作曲者はパリの音楽家だそうで、確かにヨーロッパの薫りがする気がします。

  4. Negracha ネグラーチャ (オスバルド・プグリエーセ作曲) / Astor Piazzolla, su Banoneón y su Orquesta de Cuerdas (1956, SP盤)
    オスバルド・プグリエーセは1940年代から90年代までオルケスタを率いて活躍した巨匠で、ジュンバと呼ばれる強烈なリズムと緻密で繊細なハーモニーが交錯する独特のスタイルで人気を博しました。この曲はピアソラの音楽の一つの特徴である3-3-2のリズム (タタ・タタ・タ というように8分音符3つ、3つ、2つで4拍分のリズムを構成するもので、ジュンバとは異なります) で作られており、ピアソラが影響を受けた可能性が伺われます。

  5. A Fuego Lento とろ火で (オラシオ・サルガン作曲) / Octeto Buenos Aires (1957, “Tango Moderno”)
    オラシオ・サルガンはウンパと呼ばれる独特のシンコペーションを伴ったリズム (ウン・ンパ・ンパ・ウン、という感じですかね) と斬新なハーモニーで、ピアソラとは違った形で新しいタンゴを模索した巨匠です。この曲は彼の代表作で、執拗に繰り返されるリズムパターンが特徴的。この演奏ではジャズさながらのソロ回しが聴かれます。

  6. Sensiblero 多情多感 (フリアン・プラサ作曲) / Astor Piazzolla, su Banoneón y su Orquesta de Cuerdas (1957, “Lo Que Vendra”)
    現代タンゴにおけるもっとも重要な作曲家の一人、フリアン・プラサの作品。プラサは1959年からオスバルド・プグリエーセ楽団にバンドネオン奏者として参加する一方でアニバル・トロイロ楽団にアレンジを提供、さらに「ダンサリン」「ノスタルヒコ」「ノクトゥルノ」等々多くの素晴らしい曲を書きました。この曲は彼の最初に広く知られるようになった作品です。

  7. La Cumparsita ラ・クンパルシータ (G・H・マトス・ロドリゲス作曲) / Astor Piazzolla, su Banoneón y su Orquesta de Cuerdas (1957, “Tango En Hi-Fi”)
    言わずと知れたタンゴの代名詞的作品。かなり凝ったアレンジではありますが、改めて聴くとなかなか見事な演奏です。

  8. Lullaby of Birdland バードランドの子守歌 (ジョージ・シアリング作曲) / Astor Piazzolla & His Quintet (1959, “Take Me Dancing”)
    本プレイリストの中でも最大の異色トラック。まさかの「バードランドの子守歌」です。ピアソラはブエノスアイレス八重奏団と弦楽オーケストラの活動にいったん区切りをつけて、1958年にニューヨークに渡ります。当初約束されていた仕事は反故にされ、不遇な中で活動を模索する中、ラテンリズムとタンゴとジャズの融合というようなコンセプトでアルバムを録音。これはその中の一曲です。何とか彼の地に自身の音楽を受け入れさせようとする苦心の跡が見え隠れする、彼の歴史の中の貴重な記録と言えるかもしれません。ピアソラの音楽だと言われると驚きますが、無心に聴けばクールで意外に悪くないですよね。

  9. Jealousy ジェラシー (ヤコブ・ガーデ作曲) / Astor Piazzolla & His Orchestra (1959, “Evening In Buenos Aires”)
    ニューヨーク録音の大編成オーケストラによるタンゴ集。フアン・カルロス・コーペスと共にホテルでショーを行い、何とか商業的には一定の成功を収めていた頃のものです。当時は結局リリースされずにお蔵入りしてしまい、世に出たのはピアソラの死後の1994年でした。この曲はヨーロッパのタンゴ (いわゆるコンチネンタルタンゴ) の代表曲として有名ですが、商業的なアレンジの中にもピアソラらしいリズム感やハーモニーが見え隠れしています。

  10. El Dia Que Me Quieras 想いの届く日 (カルロス・ガルデル作曲、アルフレッド・レペラ作詞) / Astor Piazzolla & His Orchestra (1959, “Evening In Buenos Aires”)
    同じアルバムからもう一曲、カルロス・ガルデルのもっとも有名な作品のひとつで、アルゼンチンのみならず広くスペイン語圏全体で歌われている曲です。ここでは英語のコーラスが入っています。

  11. Redención 私の贖罪 (アルフレッド・ゴビ作曲) / Astor Piazzolla y su Quinteto (1961, “¿Piazzolla… O No?”)
    アルゼンチンに戻って五重奏団を編成しての録音。一気に耳慣れたピアソラサウンドに戻った感があります。作曲者は 私の好きなピアソラ の11曲目に入れた「アルフレッド・ゴビの肖像」のゴビ。ピアソラはゴビのスタイルに忠実なアレンジで演奏しており、彼への敬意が伺えます。録音の際にスタジオに招かれたゴビはずっと泣いていたそうです。

  12. Bandoneón Arrabalero 場末のバンドネオン (フアン・デアンブロッジョ作曲、パスクアル・コントゥルシ作詞) / Astor Piazzolla y su Quinteto (1961, “¿Piazzolla… O No?”)
    1920年代に作られてカルロス・ガルデルも歌ったタンゴ。作曲者はバチーチャのニックネームで知られ、パリに渡って活躍したバンドネオン奏者です。この演奏はバンドネオンが弾くフレーズがあまり歌伴らしくなく、歌もアンサンブルの一員と位置付けられているような感覚があります。歌手ネリー・バスケスの実力があってこそのアレンジかと思います。

  13. Los Mareados 酔いどれたち (フアン・カルロス・コビアン作曲、エンリケ・カディカモ作詞) / Astor Piazzolla y su Quinteto Nuevo Tango (1962, “Nuestro Tiempo”)
    これも作られたのは1920年代で、今なお多くの楽団が取り上げる名曲です。ピアソラのこの演奏は格調高くドラマチックで、数あるこの曲の録音の中でも群を抜いて素晴らしいと思いますし、またピアソラ五重奏団が演奏した曲の中でも個人的には五指に入る名演かと思います。

  14. Cafetín de Buenos Aires ブエノスアイレスの喫茶店 (マリアーノ・モーレス作曲、エンリケ・サントス・ディセポロ作詞) / Astor Piazzolla y su Quinteto Nuevo Tango (1963, “Tango Para Una Ciudad”)
    歌謡タンゴ全盛の1948年に作られた曲。マリアーノ・モーレスはフランシスコ・カナロ楽団のピアニストを経て自身の楽団を率い、ピアソラとは違った形で新しいタンゴのあり方を模索してきた作曲家で、非常に多くのヒット曲を作曲してきました。大編成のショーアップされたステージで世界各地を公演したことでも知られています。若き日のピアソラがまだブエノスアイレスに上京する前、マル・デル・プラタで結成した四重奏団に≪クアルテート・アスール≫ (青の四重奏団) という名前を付けましたが、これはモーレスの処女作「クアルティート・アスール」(青い小部屋) をもじったものであることはほぼ間違いありません。

  15. Ciudad Triste 悲しい街 (オスバルド・タランティーノ作曲) / Astor Piazzolla y su Nuevo Octeto (1963, “Tango Contemporaneo”)
    作曲者のオスバルド・タランティーノは、私の好きなピアソラ の13曲目「オンダ・ヌエベ」で強烈にスイングするピアノを弾いていたその人。作曲家としても素晴らしい作品を残しています。個人的に大好きな曲です。

  16. Sideral 天体 (エミリオ・バルカルセ作曲) / Astor Piazzolla y su Nuevo Octeto (1963, “Tango Contemporaneo”)
    エミリオ・バルカルセはオスバルド・プグリエーセ楽団のバイオリニストとして活躍し、後に他のメンバーと独立して≪セステート・タンゴ≫を結成、また現代タンゴにおいて最も重要な作曲家の一人でもあります。上のタランティーノともども、ピアソラにとっては同時代に新しいタンゴを作っていた同志のような存在と言えるかもしれません。スケールの大きな曲にピアソラのアレンジも冴えわたり、非常に聴きごたえがあります。
    ちなみにバルカルセは2000年に、タンゴミュージシャンを育てるための楽団≪オルケスタ・エスクエラ・デ・タンゴ・エミリオ・バルカルセ≫ (エミリオ・バルカルセ・タンゴ学校オルケスタ) を創設、2011年に亡くなるまで後進の指導に当たりました (同楽団はその後も継続、今はプグリエーセ楽団~セステート・タンゴでバルカルセと活動を共にしたビクトル・ラバジェンが指導にあたっています)。

  17. El Choclo エル・チョクロ (アンヘル・ビジョルド作曲) / Astor Piazzolla y su Gran Orquesta (1967, “Historia Del Tango Vol. 1 / La Guardia Vieja”)
    古典タンゴの中でもラ・クンパルシータと並んで世界的にもっとも有名な曲。ピアソラが極度のスランプに陥ってほとんど自分の曲を書けなくなっていた時期に、企画ものとして録音した『タンゴの歴史』シリーズの古典タンゴ編に収められています。かなり商業的なアレンジではありますが、これはこれでかっこいいのですよね。

  18. En Las Sombras 影の中で (ホアキン・モラ作曲) / Astor Piazzolla y su Gran Orquesta (1967, “Historia Del Tango Vol. 2 / La Epoca Romantica”)
    こちらは上と同じ企画ものの第2集、1920~30年代のロマンチックな作風のタンゴを集めたものに収録されています。モラはアルゼンチンには珍しい黒人のバンドネオン奏者で、他にも「マルガリータ・ゴティエ」(椿姫)、「ディビーナ」(女神) など洗練された和声とロマンチックなメロディーを持ったタンゴを作曲しています。ピアソラがこのタイプの音楽を愛しているのは演奏からも明らかですよね。エモーショナルな無伴奏バンドネオン・ソロからオーケストラを従えてのギター、バイオリンと受け渡されて行くメロディーの何と美しいことか。この録音を残す原因となったピアソラのスランプに、個人的には感謝したいほどです。

  19. Loca Bohemia ロカ・ボエミア (フランシスコ・デ・カロ作曲) / Astor Piazzolla (1970, “Concierto para Quinteto”)
    作曲者のフランシスコ・デ・カロは上述のフリオ・デ・カロの兄で、デ・カロ楽団でピアノを弾いていました。他に「黒い花」など、上のモラと同様ロマンチックな作風の曲を残しています (このようなスタイルの楽曲は「タンゴ・ロマンサ」と呼ばれます)。このトラックはピアソラの無伴奏バンドネオンソロで、五重奏のアルバムのB面に彼が愛したタンゴの数々をソロで収めた中の1曲です。

  20. El Motivo (フアン・カルロス・コビアン作曲、パスクアル・コントゥルシ作詞) / Anibaol Troilo – Astor Piazzolla (1970, オムニバス盤に収録)
    ピアソラが若き日にタンゴの何たるかを学んだのがバンドネオン奏者アニバル・トロイロの楽団でした (1939~1944に在籍)。四半世紀の時を経て行われた師弟のデュオは、無二の歌心でメロディを奏でるトロイロを豊かな和声でピアソラが支える、といった趣です。心を打つ演奏です。

  21. Cambalache 古道具屋 (エンリケ・サントス・ディセポロ作詞・作曲) / Astor Piazzolla – Roberto Goyeneche (1982, “Piazzolla – Goyeneche en vivo (Mayo 1982) Teatro Regina”)
    上の録音を最後に、ピアソラが他者の作品を演奏する機会は激減します (十分に確認できていませんが、スタジオでは1984年に『タンゴ~ガルデルの亡命』のサウンドトラックで「想いの届く日」を演奏したのが唯一ではないかと)。そんな中、1982年のロベルト・ゴジェネチェと共演したライブでは何曲か自作以外の曲を演奏しており、これはその中の一つです。

  22. Che Bandoneón チェ・バンドネオン (アニバル・トロイロ作曲、オメロ・マンシ作詞) / Astor Piazzolla (y su Quinteto Tango Nuevo) (1982, “Live in Tokyo 1982”)
    上述のアニバル・トロイロが作った、バンドネオンに語りかける曲。歌うのは日本の誇るタンゴ歌手・藤沢嵐子です。ピアソラのバンドネオンのみによる伴奏が嵐子さんの歌にぴったりと寄り添い、聴く者の心の奥深くにまで沁みる演奏です。

以上、ピアソラが演奏した自作以外の作品でした。タンゴの革命家、タンゴの破壊者等とも呼ばれるピアソラですが、決して古いタンゴと断絶しているわけではなく、むしろ古いタンゴを愛しながらそれを大きく発展させてきたことがわかるかと思います。また本プレイリストの中に占める比重は低いですが、同じ時代に同じ志でタンゴを作っていた作曲家たちにピアソラが感じていた連帯感と、その彼等の存在がタンゴにおいて非常に重要な意味を持っていたことについても感じていただければ嬉しいです。


よしむらのページ - ピアソラ、ピアソラ以外を弾く (2021年3月21日) より転載しました。


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