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Mahaloーありがとう

海外の大学院を卒業したのは2006年の春だった。確か、インターンをしていたので、卒業後も少し現地に残り、日本に戻ったのは暑い夏の日だった。

もともと英語も禄に話せないのに踏み切った留学で、授業についていくのは本当に大変だった。睡眠時間は平均2時間で、あまりのストレスからか長期休みに入ると、原因不明の高熱が続いた。国際政治学を志す学生の多くは傲慢な人が多いというのがアメリカでは定説で、英語力が弱い日本人学生に対してほとんどのクラスメイトのあたりは強かった。心身ともに疲れ果てたが、それでも卒業までこぎつけたことは、はじめて自信を持つのに十分な成果だった。

とはいえ、人生は頑張ったからといって報われるとは限らない。日本に帰国して待っていたのは、「何でもできる」と自信のついた人間に対して「何もやらせないよ」という現実だった。

様々な企業の面接をうけたが、「なんで留学なんかしたの?時間の無駄じゃん」「ある意味新卒なのに、新卒じゃないじゃん」「26歳で社会経験ないのは致命的だね」海外での努力を否定されるようなことしか言われなかった。

居場所がない。なんとか入社しても馴染めず3ヶ月ほどでやめることが何度か続き、1年後にはとうとうニートになった。日本には居場所がない。途方にくれ、実家でぼーっとする日が増えた。そんな絶望の日々に、Mahaloは突如現れた。

近所の野良猫が子を生んで、子猫が数匹うろちょろするようになっていた。その子猫たちの中で、なぜかうちの前にずっとたむろっていたのがMahaloだった。見かねたお隣さんが、こんなに毎日うちに来るのだから、何かのご縁だし、飼ってあげたらと薦めてきた。


Mahaloを正式に家に受け入れた日は忘れられない。家の中にMahaloが入ってきて数時間後、一通の手紙が来た。海外での仕事の合格通知だった。


海外に戻れる!海外で仕事ができる!やっと誰かに受け入れられた!

捨て猫を受け入れた日、自分も何かに受け入れられた気がした。
ハワイ語で「ありがとう」にあたるMahaloと名付けた。

Mahaloは、幸運を呼ぶ?とされる巻尻尾だったこともあり、僕にとってはまさに幸運を呼ぶ猫となった。それから海外赴任になる半年間、每日Mahaloと過ごした。訓練しても、噛み癖が治らず、脛と手はいつも生傷が耐えなかった。それでも日本に帰国してからはギスギスした日常が続いていたので、可愛い子猫との每日は癒やしだった。

そしてMahaloがうちに来て半年、僕は再び日本から旅立ち、その後、海外で15年以上過ごした。帰国後も実家から離れて暮らしているので、Mahaloとはほとんど会っていなかった。

5日前、Mahaloがなくなったと母から聞かされた。17,18歳くらいだったのだろうか。

Mahaloは僕がいなくなったあと、両親と兄にとってかけがいのない存在になっていた。もともと仲が悪かった両親はMahaloがいることで会話が増えたそうだ。兄は30歳から10年間鬱で引きこもりになったが、そんな兄にとってもMahaloは癒やしだった。

結局、うちの家族は彼に多大に世話になった。彼の名前は「ありがとう」だが、むしろ僕らのほうが彼に感謝しなければならない。汚く貧しい家で乾燥型のキャットフードしかあげてないし、ある意味全員病んでるような家庭だったので受けるストレスも多かったはずだが、逃げ出さずにずっといてくれた。


今、40年以上も生きて、人間の難しさは嫌というほど味わってきた。だからこそ人間ではない生物と暮らすことは格別に幸せなことだと思う。彼ら、ペットにとって人間との生活が幸せかどうかは不安だが。


Mahalo、本当にありがとう。うちに来てくれて。天国ではゆっくりしてね。

マハロ

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