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星野源の結婚を知った日〜ひとりのオタクが一夜にして闇堕ちし、その後復活を遂げるまで〜

だいぶ気持ち悪い文章です。予めご了承ください。初めてロス?のようなものを経験して、めちゃくちゃ早く立ち直る話。




その時、私は職場にいた。同僚とともに次の日に予定されている講演会のセッティングを行おうと会議室に向かっていたまさにその時。スマホを見ていた同僚が「え」と口を開いた。


「ちょ、新垣結衣と星野源、結婚するって」


いやいや。そんなわけないでしょ。エイプリルフールかよ。言われた内容が全く頭に入ってこない。え、だってありえないでしょ。私が星野源にハマるきっかけになったドラマで共演したふたりが、結婚?ドラマが大ヒットし、日本中が恋ダンスに沸き、国民誰もが知っているあの2人が?そんなドラマみたいなこと、ドラマの中でしか起きない。


私も手元のiPhoneでLINEを開いた。信じられないことに、朝でも昼でもない中途半端な時間にも関わらず、LINEニュースの通知が光っていた。


【速報 新垣結衣が星野源と結婚】

その文字を見た瞬間、一気に現実が頭の中に流れ込んできた。だがあまりの衝撃に私の脳はその機能をシャットダウンしてしまったらしく、それから先のことは正直あまり何も覚えていない。新垣結衣が結婚してショックだという同期に愛想笑いと適当な相槌を送りながら、なんとかかんとか仕事を終えた。




「大丈夫?」


退勤間近、自席で呆然とする私に、仲の良い同僚が心配して声をかけてくれた。「なんや、失恋か」と別の同僚が笑う。でも違うと思った。違う。これは失恋ではない。


不思議な感覚だった。私が星野源に、源さんに抱く感情は、決して恋愛感情ではなかったはずだ。彼が結婚したとして、それを悲しむ理由が私にはない。それなのに、私の胸を占める感情は、喜びではなかった。上手く説明できないけれど、とにかく心から祝える状態ではなかった。SNSを埋め尽くす各界からのお祝いの言葉に、ぎゅっと目を瞑りたくなるほどの苦しさを覚えた。そしてそのことに1番戸惑ったのは自分だった。なぜ?なぜ源さんの幸せを祝えないのだろう?帰路の車の中でひとりになった瞬間、自然に涙があふれていた。これはなんの涙?私は悲しいの?

こんなことは初めてだ。好きな芸能人が結婚してこんなに感情が爆発するのは。そしてその理由がわからないのも。私は不可解な涙をぼろぼろと流しながら、自分の感情を整理することにした。


今のこの感情とよく似たもの。それを私は知っている気がした。ああ、そうだ。あれは中学高校と仲が良かった友人2人が、同時期に結婚した時だった。久しぶりに会おうと集まった居酒屋の向かいの席で、二人は幸せそうに「来年結婚する」と私に報告してくれた。「おめでとう!」そう言いながら、私は心の中では全く祝えていなかった。同じ部活で、同じように電車に揺られ、同じ学校に通った大切な友人。そんな2人に、自分だけが置いていかれる感覚。寂しく、不安で、悲しい。祝いたいはずなのに、心から祝えない。それは、当時の自分の満たされなさが原因だった。今もそうなのだろうか。例えば、もしも自分にパートナーがいたら、ここまで落ち込んだのだろうかと自らに問う。いや、きっとここまでではなかったはずだ。「さみしいなあ」なんて言いながら、それでも祝福できていたのかもしれない。嫉妬?ああ、なんて情けない感情だろう。


そして私はもう一つ拗らせた感情をもっていたことに気づく。私は星野源という人間が好きだ。音楽性はもちろん、その考え方や人となり、物事に対するスタンスが好きだ。そしてその中には、彼のもつ闇の部分、孤独も含まれていた。私が孤独を感じる時、星野源は自らの孤独をもって慰めてくれているような気がしていた。「ああ、この人も孤独なんだ」と思うことで、救われる自分がいたのだ。それはまるで、民のために自らを犠牲にしたキリストと、彼に救いを求めるキリスト教徒のようなものだった。


気持ち悪いことは承知の上で率直に言うと、神に裏切られたような気がしたのだ。この人はもう孤独じゃない。この人はもう私と同じ世界の人間ではなくなってしまった。そんなことを考えてしまったのだ。
なんてことだ。私は源さんのことを人身御供のように考えていたのか。彼も1人の人間だというのに。ファンとして、彼には誰よりも幸せになって欲しいのに。自分のエゴで、彼に孤独なままでいて欲しいなんて。彼の人としての幸せを生贄にするなんて。最低だ。


頭では整理ができた。でも、感情の整理ができなかった。まだどうしても、祝えなかった。Twitterでおめでとうも言えないし、帰りにケーキを買って帰る気にもなれない。今だけは源さんの曲を聴けない。


ふと、このまま一生こんなだったらどうしよう、と思った。あんなに好きだった彼の音楽を、この先ずっと辛くて聴くことができなくなってしまったら。そう思ったら、また涙が出てきた。その日は泣きながら眠った。


翌朝、布団から出るのが億劫だった。人気俳優が結婚して会社を休むOLの気持ちが、初めてわかった。ぼんやりとした頭で、なんとか職場に行く。仕事をしながら、また思う。このまま源さんをみる目が変わってしまうのか。大好きだった著書ももう読めないのか。オールナイトニッポンも聴けなくなるのか。あんなに楽しみにしていた新しく発売するCDも聴けないのか。


そんなのは嫌だ。

自分の醜い感情のせいで、あんなに素晴らしい音楽を聴けなくなるなんて耐えられない。


その瞬間、『創造』のイントロ部分が頭の中で鳴った。Let' take something out of nothing. あの、問答無用で心を震わせてくれる音楽。


ああ、聴きたい。そう思った瞬間、私の指は自然な動作でSpotifyの「星野源」プレイリストを再生していた。イントロが流れる。うん、やっぱりいい音楽だ。そう思いながら、私は自分がちゃんと笑えていることに気づいた。私の大好きな音楽を奏でる人。その音楽を聴けることがこんなに幸せなのだ。だから私はきっとこれからも変わらず、星野源が好きでいられる。そのことを確信した瞬間だった。


闇堕ちした主人公が、自分の本来の目的を思い出して瞳に光が戻るように、私は少しずつ自分を取り戻しつつあった。


冷静になってよく考えてみれば、星野源の抱える年季の入った孤独や闇が、結婚程度で消滅するわけがないのだ。そしてお相手のガッキーも、源さんの闇や孤独を理解できる側の人間だと推察する。彼女の立居振る舞いやエッセイで語られる人柄をみるに、この二人はたぶんよく似ている。きっとこれから、決してひとつにはなれない孤独を抱えながら、二人でばらばらに一緒に生きていくのだろう。源さんの隣にいてくれるのが彼女でよかったと、今度は心からそう思えた。

さて、立ち直りついでにこれから源さんの今までを感慨深く振り返ろうと思う。著書をいちから読み返そうか、それとも1stアルバムから聴き返そうか。部屋の隅にある彼のCDと本をまとめてある本棚が、今はとても愛おしく見えた。

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