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【シャニマス考察】よくわかる『明るい部屋』

《ここに=かつて=あった》
ロラン・バルト『明るい部屋』より

はじめに

※本記事は、2020年にシャニマスで開催されたクリスマスイベントコミュ『明るい部屋』を読んだかたを対象にしています。

2020年元旦からコミュ読み放題キャンペーンもあります。
みなさんでシャニマスのシナリオの深淵にのみこまれましょう。

明るい部屋のストーリーライン

イベント『明るい部屋』では6つのストーリーが進行している。

1.自由に使える物件探し(はづき&プロデューサーメイン)
2.はづきのクリスマス事情
3.社長の墓参り
4.283プロアイドルのクリスマス巡業
5.選抜アイドルによるキャロル隊
6.ノクチル(透、円香、雛菜)のケーキ販売

この記事では、1~3の はづき父を取り巻く物語を取り上げる。

イベント『明るい部屋』のテーマって?

"変えられない過去"という悲観的なテーマを、"過去から運ばれてきた未来へのプレゼント"という好意的なテーマに転換する話だ。過去と今を、未来を軸に再解釈している。

時間の再解釈こそが、このシナリオにおける肝であると私は読みとった。

◆『どうか照らしてほしい』
期間限定で消えるパートに核心が記されている。イベントコミュはあとから閲覧できるが、それはそれとして期間中に楽しむために作られている。

シャニマスのコミュを紐解く

シャニマスのコミュは親切だ。その内容がではない。構成が、である。

ストーリーを読み解くあらゆる軸はコミュ各話のタイトル、とりわけオープニングとエンディングのタイトルが教えてくれることが多い。

今回のコミュでは、次のコミュが該当する。
・夜をこえて
・La chambre Libra

◆『明るい部屋』コミュ一覧
OP:夜をこえて
第1話:オンリー・プライベート
第2話:ドタバタ
第3話:ラブコメ
第4話:サンタ・クローズド
第5話:ブリアル
第6話:消防士
ED:La chambre Libra

イベント『明るい部屋』が目指すもの

つまりイベント『明るい部屋』は、”夜を超えて、La chambre Libra(空室;自由な部屋)にいたる物語”である。

“夜をこえる”とはどういうことなのか?誰が夜を超えるのか?
“自由な部屋”とはなんなのか?何に対して自由なのか?

これこそが、イベント『明るい部屋』を読むための問いかけとなる。

そして、その問いかけはこのイベントが踏襲している書籍『La Chambre Claire』と――つまり邦題『明るい部屋』とリンクしている。

書籍『明るい部屋』って?

フランスの哲学者ロラン・バルト(1915~1980)による、写真という媒体についての評論が『明るい部屋(原題:La Chambre Claire)』である。日本では花輪 光によって訳され、1985年にみすず書房より出版された。

タイトルの『La Chambre Claire』はカメラの前身となる描画装置(カメラ・ルシダ)そのものを指す熟語でありながら、その直訳は翻訳タイトルである『明るい部屋』を意味する言葉である。いわゆるダブルミーニングだ。

書籍『明るい部屋』とイベント『明るい部屋』

本書は大きく前後編からなる、”写真”の本質をめぐる評論だ。
このイベントコミュとリンクしているのは特に後編だ。

キーワードはバルトの「母の死」である。

母の死後まもなく写真を整理していたバルトは、写真の束からたった1枚だけ、死んだ母を《ふたたび見出す》写真を見つける。

イベントコミュを読んだ方は驚くことだろう。
写真の束を本の山に、母を父に置き換えると、本作中のはづきになる。

”写真”―こえるべき”夜”の類推

母の”写真”を見つけたバルトは、その結果”写真”の本質に至る。
それが、《ここに=かつて=あった》である。

《ここに=かつて=あった》とは、バルトの言葉を借りるなら「手に負えないもの」としての過去の事実である。ゆるぎない過去の事実と言い換えてもいい。

被写体(人物、背景)についてなんら知識や解釈を持たずとも、被写体が撮影の瞬間に存在したことやその行動は疑いようもない事実であるということ。

また、現実のものでありながら、もはや手の触れることのできないものであるとも述べた。こうした本質を持つ”写真”は”死”から逃れられず、映ったもの全てが「それはすでに死んでいる」か「それはこれから死ぬ」であるというのだ。

そして、どんな瞬間であってもとらえてしまう写真は「時間をせき止める」ものとも語られた。

では、イベント『明るい部屋』でこえるべき"夜"とはなにか?

それは、かつてあったものであり、すでに死んでいるものであり、時間をせき止めるものである。さらには、現実のものでありながら、手を触れることは叶わない。

"夜"の象徴=閉じた部屋、幽霊、サンタ、蛾etc...

はづきと社長にとっての”夜”であり手に負えない過去。
それこそが、はづき父との思い出だった。

イベント『明るい部屋』において、"夜"を象徴する要素はこれでもかと出てくる。

・寮の閉じた部屋。時間が止まったままである

・幽霊。すでに死んでいる

・はづき父。すでに故人

・サンタ。眠っている夜にしか現れない

・蛾。夜の暗闇から光にむかって飛んでくる

はづき編その1:幽霊とサンタ―過去がもたらす今

はづきを取り巻く過去は、ストーリー第4話からメインで描かれる。

寮の部屋を整理しているさなか、父が健在だった当時の夢を見て目を覚ます。しかし、そんな父との思い出はクリスマスでの苦い記憶だ。そんな経験が、はづきが抱くクリスマスへの印象をよくないものにしていた。

◆「何がメリークリスマス…………」
実はこの場面、クリスマスシーズンなのにクリスマスを受け入れていない=”今”を見失っている描写である。


◆『七草』
部屋に積まれた難解な書籍の蔵書印をみて、この部屋が七草―、自分の父の部屋であったことに気が付く。

では第4話とは何だったのか。七草家のクリスマスの再演と再解釈である。

サンタ・クローズド=Santa Closed。

閉じた世界、時間が止まった世界のサンタだ。だからサンタは過去しか見せない。あの父はあの部屋にしかいない父で、それ以降の時間を持たないからだ。

さらに、言葉遊びをするのであれば、Santa Closedは近親者のサンタ、サンタの接近でもある。ダブルミーニングは、『明るい部屋』の十八番だ。(closeの意味には閉じる他に、近しいという意味もある。なお発音は異なる)

寮の幽霊は本当にいた。そしてそれは、サンタであった。

時間が止まったゆえに、はづき父は、幽霊としてあの部屋にいた。《ここに=かつて=あった》状態で。そして、眠っているはづきにプレゼントを渡して、役割を終えたのだ。

◆「プレゼント、買ってきたんだ……!」

時間の止まったはづきの父は、”今”のはづきに想いと記憶を明け渡す。それは、はづきにとっては父と過ごす”今”であって、それこそがプレゼントだった。

社長編:埋葬―解き放たれる時間

ブリアル、burialは埋葬を意味する。

社長はいかにして時間を乗り越えたのか。答えは、埋葬であった。

社長は、はづき父を過去の存在にできていなかった。正確には保留していた。人間のかたちをとってはいないが、部屋として友人の死体を抱え続けていた。それを明け渡すことは、すなわち埋葬であった。

◆「……いいよなぁ、もう」

◆空けちまうぞ、あの部屋
社長。"夜"に向かって独白している。

はづき編その2:天のみつかいの―未来がくれた今

本シナリオ第6話でキャロル隊が歌うのは、日本では『天(あめ)のみつかいの』というタイトルで知られる賛美歌である。なかでも、クリスマスによく歌われる賛美歌(いわゆる、クリスマス・キャロル)のひとつ。ところでこれもフランス語が原文で、原題は『Les Anges dans nos Campagnes』。

あめのみつかいとは、そのものずばり天使である。これは解釈ではなく、実際の歌詞中で示される。

283プロのアイドルは、クリスマスの天使として賛美歌をうたう。
はづきが教会にいたことも偶然ではないだろう。

止まった部屋に囚われたはづき父も、はづきに囚われた父も天使が空へつれていったのだ。はづきと父を囚われの身にしていた過去は、解放され自由になった。

◆「そういうことがやりたいみたい」

◆「お父さん……」
はづき。明るい空に向かって独白している。もはや”夜”は去った。

Les anges dans nos campagnes
Ont entonné l’hymne des cieux,
Et l’écho de nos montagnes
Redit ce chant mélodieux
Gloria in excelsis Deo
(天使たちが我らの野の果てで)
(天の聖歌を歌い始めた)
(そしてわれらの山々にこだまし)
(その美しい旋律の歌は繰り返された)
(いと高きところの神に栄光あれ)

『Les Anges dans nos Campagnes』より

La Chambre Claire:光をとらえるカメラ・ルシダ

La Chambre Claire―カメラ・ルシダは、プリズムを通した景色を、他方の目で見た画用紙に写し取る装置だ。

プリズム越しに見る光は、わたしたちがよく知る色づいた光。
283プロのアイドルこそが光だった。そして、部屋を照らした未来だった。

はづき編その3:メリークリスマス―合流する”今”

樹里が言ったように、あの部屋には未来の人たちの時間があった。

それはしかし、今(シャニマス世界リアルタイム)の時間から見た未来ではなく、故人であるはづきの父から見た”今”のはづきの時間だった。まさしく時間は縦につながっていた。

◆「昔ここにいた人たちの気持ちも、きっとある」

◆「おー、それなら 未来の人たちの時間もあるんじゃねーか?」


◆「は、バイバイ……蛾さん……!」
愛すべき未来が、あの部屋に捕らえられた蛾を―はづきの父を止まった時間から解き放つ(西洋絵画において、蛾(蝶)は魂を示す役割を持つ)。


◆「メリークリスマス、はづき」
解き放たれた時間は、”今”に辿り着く。
だからこそ、クリスマスの再演があった。

このストーリーで、プレゼントを置いたサンタはむかうべき場所へ向かうものだ。だから、プレゼントを渡したら、サンタはソリを引いて行かなければいけない。

◆「―さ、それじゃプレゼントを置いたらサンタは現場に戻るよ」


◆「おかしい……前はこの辺通ったとき、磁石が回ったのに」
止まった時間がとらえていた、はづきの父はもういない。サンタは”あるべきところ”へかえっていった。だから、もうあさひのコンパスは動かない。

そして、記憶という過去から、アイドルという未来から”今”を再発見したはづきは、父と重なるプロデューサーからプレゼントを受け取る。

◆「あぁ、待ってください。あの、これ――」


◆「今日はメリークリスマスです〜」
はづきは受け取った”今”を素直にみつめて言葉を紡ぐ。
メリークリスマス、と。

そして夜が明ける

夜がなくしては、夜明けにはいたれない。
それが1話から6話で描かれたストーリーだった。

そして、夜をこえた先に待つのは太陽だ。

だから、夜の暗い部屋のなか、その夜明けを象徴するように放クラの5人がいる。彼女たちが、夜明けをもたらした未来そのものでもあることも大事だ。

◆イベントメインイラスト

空室、そして自由な部屋

ついに部屋は自由になった。
何から自由になったのか?過去から自由になったのだ。
あの部屋は、未来に行けるから”自由な部屋”なのだ。

それゆえに、このシナリオの主役は過去にとらわれた人たちだった。彼女たちはほかの人たちの助け、つまりは差し込んだ光によって、止まっていた時間を動かすことができた。

はづきは父の記憶とアイドルからの”贈り物”によって
◆「そういうことが、やりたいみたい」

社長はアイドルたちの輝く未来によって
◆「……いいよなぁ、もう」

愛依はあさひと冬優子からの激励によって
◆「うちが真ん中……立っても、いい……かな……!」

小糸はキャロル隊からの信頼によって
◆「うん……」

これが『明るい部屋』で描かれた、夜明けまでの光の軌跡だった。

END

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