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Column #35 やめる方が難しい

何かを始めるのは良いことだ。それをやり遂げるということも。続けることも大事。でも何か理由があれば途中でやめたっていい。実は意外とそれが一番難しい。まわりから反対されるし、自分の意地もあるし。

本質的ではないと思ったことは、やめるか直ぐにでも改善していくべきだ。それはプロジェクトもそうだし、他人との関係も。正しいや間違っているではなく、自分が真実だと思った道のみを生きる。そうありたい。

BLUE BOYをやめたのだって、HARCOをやめたのだって、そうなのだ。やめたいという強い気持ちがまずあり、やめどきだなという冷静な気持ちもあった。自分だけでなくまわりの人のことも考えたし、考える余裕がないときもあった。(どっちやねん)

HARCOをやめるとき「続けたら伝説になったのになぁ」と、ある人に言われたことがある。はじめはHARCOを高く評価してもらえたのが嬉しかったが、徐々に「伝説を終わらせてしまったのか...…」という後ろめたさに苛まれ、今もときおりその言葉が頭をよぎる。

つまるところ、これがやめるときの難しさなのだ。やめなければよかったのにという、まわりの人の声がときどき聞こえてくる。実際にそう話している人もいるだろうが、大事なのは自分の意思であって。つまり本当の声の正体は誰でもなく、自分の声。その気持ちに負けるようじゃダメだし、認知の仕方を変えなければいけない。

それでも感情というものは、想いが強ければ強いほど増幅されてしまう。悲しみも悔しさも、今書いたようなモヤモヤも。喜びもそうだ。このコロナの中、たまに人と会って話すときのあの愉しさよ。増幅しやすい自分は、途中からすぐ涙目になってしまう。

、、、さて、いくつかやめたいことがあるのだ。それを皆さんに報告したい。こんな口調で申し訳ない。140文字のSNSの方がよっぽど丁寧。コラムなものでどうかお許しを。

まずは軽めのところから。これはやめるというよりは休む感じ。このコラムを毎月1回ずつ、2018年から2年書いて、2020年から2年休んで、今年は1年続けてきたけど、来年1月からはまたしばらくやめようと思う。書くといつも止まらなくなり、余計なことを書きがちなので。

次はクリスマスライブ。10年続けてきたが、ちょうどいい節目だし、今までずっと楽しかったけど、今年で一旦最後にしようと思う(今までありがとう🎅)。

普段CMソングなどの仕事もしているので、年末と年度末はわりと忙しい。その度合いが有り難いことに年々上がってきて、準備がゆっくり取れなくなってきたことがまずひとつ。それとまだこれを言うのは早いとは思うが、年齢的&体力的にもそこを両立させるのが厳しくなってきた。

身を削るよりは長生きしたい。太く短く生きるのもかっこいいかもしれないが、少ない体力だと太い=良いライブが出来なくなってしまう。最近ライブの調子が上がってきているので、出来ればこのままどこまでも維持させていきたい。

かといって、これからもクリスマスや冬の時期にそういった曲は歌いたいし、今までは東京や横浜だけだったので、もし復活するときが来るとしたら、「クリスマスライブ全国ツアー」にしたいくらい。

それに関連することでもうひとつ。オリジナルのクリスマスソングを毎年1曲ずつ書いてきて、10曲溜まったらクリスマスアルバムにするとたまに話してきた。これもやめます。ごめんなさい。これがいちばん心が痛い。今年のはじめに「1月から作り始める」ともSNSで書いていたのに。

書かない年もあったり、すでに発表してしまった曲(First Flight → HARCO後期ベスト盤)もあるので、今のところおそらく未発表のものが7〜8曲くらいあるのだけど、ライブの直前に急いで書いた曲も多く、正直、多くがクォリティとしてどこか欠けている。

そもそも、音源よりもライブで先に披露した曲は、基本的にはそうなのだ。出来立てのどこか未完成な状態を聴いてもらって、そこからクォリティを高めていく。その面白さも音楽の醍醐味。

しかし今回は、その状態のものが多すぎる。名義も変わった今、以前の気持ちにひとつひとつ戻りながら修正していくことに対して、「本質的にどうなのか」という気持ちが少しずつ膨らんでしまった。だったら、すでに良さそうなものだけアレンジを加えて、普通のアルバムに入れた方が良いのではとも思うようになった。

それとこれから新たに生まれていく曲の方に、心血を注ぎたいという気持ちもやっぱりある。それを言ってしまったらこの企画自体、はじめからどうなのかということにはなる。なので、僕の思い付きが過ぎたところは正直認めます。楽しみにしてくれていた皆さん、あらためてごめんなさい。

やめる関連の話はひとまずここまで。あとは最近増えているというか増やしている、プロデュースの活動について。これは逆に、今いちばん楽しいことと言っても過言ではないので、この先も続けていきたい。(その分、自分名義の作品がこの先も少なめになること、どうかご勘弁を!)

しかしアーティストが増えてくると、すべての曲に時間を注げば注ぐほど、他のことが出来なくなってしまう。はじめから考えれば分かることなのだが、単細胞なところもあるもので、この板挟みに今年はかなり苦しんだ。(アーティストのみんなにも、多かれ少なかれ打ち明けてます。)

というわけで、この先はプロデュースにこだわらず、いちレーベルオーナーという立場も意識して、他の人にプロデュースを頼んだりもしてみたい。大胆に書くと、半分以上は現場に僕はいないという状況も作ってみたい。ほっとけない性格=人に任せる&信用するという心構えが、自分に足りないところでもあるので。

乙川ともこの1st Albumのときに学べたことも大きいし、いろんな方の助言、とくにポッドキャストに出演させていただいたときの伊藤銀次さんの言葉には、かなり救われた。

それとハットピンレディオは、何回も続けるどうかを迷った節目があった(楽しいけど時間が足りない、など)。でも結果的に今は、ラジオの相方であり妻のQuinkaに、多くの編集をまかせる形で続けられている。彼女には何度も無理な相談をしてしまったが、やっぱりQuinka本人が一番楽しんでいるのをやめるのも忍びない。遂には番組ブログやプレイリストづくりも、今月から彼女に任せることにしてしまった。 すまない...…!

Quinkaには最近何かと助けられている。子育てはまだまだ大変だろうけど、以前より多少は時間に余裕があるようだ(最近はかなりの数のTVドラマを見ている...…)。家計を助けるために少しアルバイトをしてほしいと何度か話しているが、いっこうに腰を上げる気配がないし、結婚してから20年近くのあいだも、ほとんどしていないと思う。CMソングを作る&歌う、などはあるが。だったら自分の仕事を手伝ってくれと、今日もひとつ頼み事を増やしたところ。

この前はなんとアーティストの撮影までお願いしてしまった。もうすぐちゃんと写真も発表するけれど、12/21に僕のレーベルから配信解禁する熊谷あすみのアー写の撮影は、Quinkaによるもの。これがまたなかなか良いのだ。色調補正などで協力してくれた方のおかげもすごくある。でも彼女には写真のセンスはすごくあるなぁと以前から思っていた。

話がずれてしまったが、そういったわけでラジオは、リスナーの皆さんとの繋がりの場でもあるし、K-mixの方々への感謝もあるし、なるべくなら続けていきたい。

あとは青木慶則名義の活動や曲づくりも、これが本名だし、もし違う名前にすると、自分のことだからまたやめると思って本名にしたところはあるので、やめることはないだろう。

ただし歌もの以外に、おそらくサウンドトラックなどのインストも今まで以上に増えていくので、あえて作風が多様なアーティストとして、生きていこうとは思っている。HARCOでさえそういう性質はあったけれど。子供の頃から「将来はオールマイティな存在でいたい」と、漠然と思っていた記憶もある。常に好奇心のかたまりだったので。

とにかくQuinkaだけでなく、いろんな人に頼っていきたい。協力してくれる人を増やすことで時間と心の余裕を持ちたいし、こんな僕を頼ってくれているアーティストたちも含め、いろんな想いを分かち合っていきたい。

最近は息子とたくさん遊んでやれてないのが心残り。なぜか夜暗くなってから、ふたりでこっそり公園でサッカーしたり。そんな親子も面白いけれど、あの1回かぎりにしたい。目に当たったりしたら危ないし、サッカーはちゃんと昼にやろう。

<12/10 追記>
これも書こうと思っていたのだった → 年内にリリースとSNSで何度か書かせてもらっていた僕の次の作品(インストアルバム)も、来年に回すことにしました 🙏 

それとサッカーは今日の午後、つまり昼に、息子や近所の子供たちと、とことんやり切った! 走った! 疲れた!(大人は僕だけだったので余計に)⚽️