子どもの心に扉があるとすれば、その取手は内側にしかついていない[428]
『ケーキの切れない非行少年たち』を読んでいて、この言葉が最もグッと刺さりました。今日はこの本から学んだこと、感じたことを記録します。
刑務所に入るような犯罪をする人たちは本当に凶悪な性格を持ち合わせた人たちなのか、犯罪に走る前に家庭や学校教育でできることはなかったのか、という思いで一気に読み終えてしまいました。
悪いやつがいるのではなく、悪いことをする脳や心の構造がある
トップニュースになるような事件を起こす人たちは、脳に腫瘍があって、衝動を抑えたり少し先に起こりうることを想定するようなことが苦手なケースがあって、その衝動的・瞬間的な判断によって大きな事件を起こしてしまうということもあるというのが分かりました。そのため、犯罪者は私の手の届かないところで生まれていると考えるのではなく、私が手の届く範囲の子たちで、もし認知的な障がいをあったり社会的なスキルが年齢相応になっていない子がいたら、自分もそれに合わせたトレーニングを行い、同時に保護者への理解を促し、適切な期間でその子にあった専門的なトレーニングができる場所でしっかり社会で生きていくための力をつけてほしいと思うようになりました。
対人スキルが弱いことが、怒りや対立、犯罪の原因にもなる
対人スキルが弱い子の特徴は、
・聞く力、見る力、判断する力が著しく低い
→相手の言動を誤って解釈してしまう、それをしたらどうなるかの判断に至らずに行動に移してしまう
・嫌なことを断れない、助けを求めることができない
・学校でいじめられた経験がトラウマとなって、そのはけ口として自分より立場の弱い子どもに暴力をしてしまう
と書かれており、学校で起こるいじめは適切な対処をせずにそのままにしてしまうと、被害者が加害者となり、新たな被害者を生み出してしまうことがわかりました。
学校教育で社会的スキルを育てられているのか
日本の学校では、学力面や身体面での時間はあるものの、社会面(対人スキル、感情コントロール、対人マナー、問題解決能力)を育てるプログラムや時間はあまり重視されていないようです。しかし、学校で働く先生方の多くはその重要性を実感しているもののなかなか実行に移せない状況があるんだと思います。オランダはこういった社会的スキルを育てるためのプログラムを小学校で学んでいるようです。以前、家に遊びに来てくれたオランダで育った友人が「学校は勉強も大切だけど、一番はコミュニケーションを学ぶ場所だからね。」という言葉が再び蘇ります。
目の前の子どもの問題ではなく、社会全体で考える
本の中では、犯罪者を納税者にと後半で述べられています。子どもたちが適切な認知的機能のトレーニングを受けることができず、そのまま社会で不適合を起こした場合、その人が働いて収めるはずの税金だけでなく、刑務所でその人を保護するために費用がかかり、大きな財政上の問題にも関わっています。
コグトレ(認知機能を鍛えるトレーニング)
書籍の中で、そういった社会的スキルを身につけるための「コグトレ」が紹介されていました。主に、「記憶・言語理解・注意・知覚・想像する」という5つの要素を鍛えることになっています。そこには具体的な方法についても紹介されているので、本書や参考文献をご覧になっていただけたらと思います。
今の自分にできること
私は今は学校の教員ではないので、また違った立場からのサポートになりますが、私が小中学生に行っているレッスンでは「遊び」の時間をあえて設定しています。保護者が期待する学力の向上はもちろんのこと、その土台になる「社会的スキル」も遊びの中でレッスンの中でつけられるようにしていきたいです。
私が先日撮影した、曇った空の中に不意に現れるこの虹のように、子どもたちとの関わりを大切にし、彼らを様子をよく観察するとともに、その中で子どもたちが不意に見せてくれる優しさや思いやりなどの「美しい心」の部分にも気づけるような講師でいたいと思います(最後は上手く言おうとしました笑)。
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