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時間割やカリキュラムに頼りすぎない「学び」の大切さ【Aflevering.206】

 日本語教室の少人数授業では、90分間日本語習得のために行う授業もありますが、日本のカリキュラムに従った国語と算数の両方を行う授業も行なっております。
 今日は国語・算数連続した2科目の授業をする中で、科目の切り替えのタイミングなどについて考えたことを記録しておきたいと思います。

時間割がない?娘が通うオランダの小学校

 日本の学校では時間割が組まれ、割り当てられた通りに授業を進めていく学校が大半かと思われます。しかし、そういったシステムは近代化の流れで取り入れられたもので、長い人類の歴史の中でもここ約160年ぐらいの話です。そもそもそれが教育のベースではありません。

 私の娘が通っている小学校では、厳密な時間割というものがありません。もちろん、体育や音楽のような他のクラスとの調整が必要な授業については曜日と時間が決まっていますが、読み書きや算数の授業は厳密に授業時間が決まっているわけではないのです。

「時間割がない」
 時間割が当たり前で育ってきた私にとって初めは驚きでしたが、日本語教室で子どもたちの日本語サポートをしていると、それも良い方法だと思えるようになってきました。ただし、注意点もあるのでそのあたりをまとめて考えていきたいと思います。

時間割がないことのメリット・デメリット

○メリット

 一番大きなメリットは、先生が目の前の子どもたちの様子や学びを見ながらリアルタイムで判断できるところです。それによって、より効果的に学習を進めることができます。
 私が現在担当している国語・算数をセットで学ぶクラスも時間ではなく、内容や子どもたちの様子を見ながら切り替える方が、子どもたちの集中力も継続しやすいと感じました。

○デメリット

 現場の判断に任されるため、先生側が科目間のバランスをきちんと見ておく必要があります。仮に先生があまりバランスを気にしていない場合は、科目による偏りができたりするのかもしれません。そういった意味で、「時間割」は均等に時間配分ができますが、子どもたちを受け身にしてしまう側面もあるように思います。

先日のクラスでの出来事

 私が先日日本語教室での授業をしている時に、まさにそういった授業内容に関することや科目の切り替えのタイミングの重要性について感じた日がありました。

 その日の小学生低学年のクラスの授業で取り組むつもりだった内容は、
①詩の朗読 → 内容に関する絵を描いて日本語で説明
②文章表現(理由)
③漢字学習(家族)
でした。

 ただ、その日はなぜか授業前から子どもたちの間で「漢字」が話題になっていたため、漢字学習を先に行ってから詩の朗読に移りました。詩の朗読に関しても、子どもたちは漢字の読み方や成り立ちの方が話題の中心になっていました。そのため、私は絵を描くのは次に回して詩の中の漢字に関する話をすることにしました。

 すると子どもたちは、自分たちで「詩に書かれている漢字のノートに写していこう」ということになり、自ら教科書の漢字を写し始めたのです。その間、子どもたちは無心で漢字を書き、時には子ども同士で読み方を教え合ったり、他の読み方があることをお互いに確認し合ったりしています。

 私はその様子を見て、「今子どもたちが集中できる内容はこれかな」と判断したため、子どもたちに学習を任せることにしました。最終的に30分ぐらいは集中して作業をしていたと思います。漢字の学習を終えた子どもたちは、「疲れた〜」と言いながらも達成感に満ちた表情でみんな休憩に入っていきました。
 私は日頃こういった子どもたちの様子を見ていて、学習内容もさながら、自主的な学びが子どもたちの「心」を育てるのではないかと感じています。

教室の授業で優先すること

 私の日本語教室での学習は、テストもなければ評価を出すこともありません。そのため毎回の授業で、「学びの本質」がいつも試されているように感じるのです。
「子どもたちは学ぼうという姿勢を持っているか」
「子どもたちが今学んでいることが心の成長に寄与できているか」
「子どもたちが日本語を学んで成長を感じ、それを喜べているのか」

といったことをいつも授業の中で考えています。

子どもたちと「学ぶこと」について話した日

 オランダでは「対話」が非常に重視されているように感じます。オランダの教育について紹介されている動画や記事に限らず、妻のオランダ現地校を訪問した時もそういった話を先生から聞くと言っています。そのため、時には授業を止めて、大切なことはとことん話し合っておくべきだと考えています。
 なぜなら、子どもたちは学びに向かう前に引っ掛かっているものがあるのです。それを取り除く作業を一緒に行なっていく方が、その後はスッキリとした気持ちで取り組めるので、学習にも集中することができます。また、そういった対話を重ね、お互いが考えていることを共有することによって「子どもと講師のお互いの信頼関係の構築」にもなっていくのではないでしょうか。こういった考えは、コーチングに関する本を読み学んだことです。

 次は、小学生高学年のクラスでの話です。
その日も既にこちらでは学ぶ内容を決めていましたが、「文のつながり」をテーマとした作文の活動をしている時に「日本語が読めたらマンガがたくさん読めるようになる」といったことを話した子がいました。そのことをきっかけに、みんながそれぞれ「日本語を学ぶ理由」を話し始めたので、その話を作文のテーマにすることにしました。すると子どもたちは、いつもより丁寧に漢字の書き方を聞いてきたり、助詞があっているかなどを積極的に聞いてくれるようになったのです。

 そして、そのクラスでは算数も同じ時間で授業で行っています。そろそろ算数の時間に切り替える頃の時間になった時には、まだ漢字も音読の活動もできていない状況で、作文でかなり時間を費やしていました。
 ただこの場合も、目の前の子どもたちは作文に全力を注いでいるので、あまりこちらの時間の都合だけで勉強を切り替えさせるのも良くないと思いました。そのため、算数の時間は次の回で時間を増やすことにして、思う存分作文の時間を楽しんでもらおうと思いました。
 そして、たくさんの時間をかけた作文も、子どもたちは自分の書いた文章を自信満々に読み、その後の休憩時間もとても満足そうでした。

 課題に没頭している時は声をかけずそっとしておくのが、私が大切にしていることの1つです。

子どもは主体的に学んでいるか?

 私が日本の高校現場で働いていた時、「子どもたちが主体的に学べるようにするためにはどうしたらいいのだろう?」と考え、なるべく自主的に学べるように頑張ってきました。
 しかし、今日本語教室の講師をしていて思うことは、時間割や学習内容なども子どもの学習態度に大きく影響することがことが分かってきたのです。もちろん、子どもの好きなことだけを学べるというのは偏りで出てくる可能性があります。しかし、目の前の子どもたちの状況に合わせて、講師が学ぶ順番を変えたり、時には子どもたちに選択してもらうようなアプローチを入れるだけでも、「子どもを中心に置いた学習環境」が整えられていると言えます。そして、そのことを子どもたちも感じています。

 すると、子どもたちは自分たちが授業に関わっているという意識を持つことができるので受け身ではなく、積極的に関わろうとしてくれます。日々の授業は、週に1度たった90分に過ぎませんが、その中でも小さな積み重ねによって子どもたちの態度にも大きく影響するのではないかと考えることができました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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