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自分で考えて判断できる余地を〜約3年ぶりの日本への一時帰国①〜【Aflevering.252】

 先日、約3週間に及ぶ日本への一時帰国からオランダに戻ってきました。
2020年のオランダ移住から約3年ぶりの日本だったので、関西国際空港に着いた途端「見慣れた風景だけれど懐かしい」という何とも不思議な気持ちがしました。

 2020年からはしばらく国境を越えることが難しくなっていましたが、ようやく日本に一時帰国し家族や友人との大切な時間を過ごすことができました。
 そして今回、日本からオランダに戻ってきた時に「僕はオランダに戻ってきた」という感覚がありました。元々日本は「帰ってくる場所」ですが、オランダも自分の居場所なんだと感じることができて良かったです。

 この記事では、初めての一時帰国で感じたことを記録しておきたいと思います。

時間の経過で分かれる感染症への対応

オランダではもはや過去の出来事

 オランダでは、数年前に起きたパンデミックについては、もう既に過去の話になっており、パンデミックに関する意識や行動はほぼ影も形もないように感じます。
 コロナに関するニュースも見かけなくなり、かつて日常生活にあった行動制限についても、私が知る限り全て解除されました。

 感染や健康リスクを考えることは、命に関わることなのでとても重要なことです。日本では、厳重に続けられているマスク着用の徹底や感染症対策が数年前と同じレベルで行われています。
 取り決めたことを継続できるのはとても素晴らしいことだと思いますが、その一方で、「これはいつまで続けるつもりなんだろう」というちょっとした疑問を感じました。
 実際に、日本にいる何人かの友人に聞いてみても「もう外してもいいと思うんだけど、周りの目が気になって外せない」という声ばかりでした。

 オランダでは感染者数の統計は残っていますが、マスクの着用やアルコール消毒の徹底を止めたからといって、感染者が爆発的に増えてはいないようです。むしろ、日常を取り戻して家族や友人とこれまでと同じように過ごし、仕事も通常運転をすることで本来の業務に集中できているという印象があります。

 私がこの3年間オランダで暮らしていて感じたのは、少なくとも早い段階で子ども達にとって日常を取り戻すことができたのは大きかったと感じています。なぜなら、子ども達が成長していく中で「他人の表情が見えにくい状況が続く生活の方が、よっぽどリスクが高い」と感じていたからです。

日本で継続されている対策

 日本にたどり着いたとき、空港ではかなり厳密なコロナ対策をしていました。多くの人員がそこに割かれ、ワクチン接種証明やPCRの陰性証明などの確認を丁寧に行っていました。

 また、空港からの公共交通機関での移動に際して、「マスク着用と会話はなるべくお控えください」という放送に強く驚きました。会話の制限を要請するというのは、オランダで生活している立場としては強い違和感があります。そこまでの制限を放送で求めるのかと驚きました。
 これは個人主義の色が強いヨーロッパと、集団主義のアジアでは根本的に違うところなのかもしれません。

何事もバランスを重視するオランダ

 私はオランダに暮らしてから、何事もバランスが大切だということを学びました。全部を完璧にこなすことはできません。感染症対策は必要な措置ですが、それに時間と人員を割くと別に必要な仕事に充てられなくなります。
 そして、リスクを避けるために必要以上にストレスを感じてしまう人がいたり、子ども達にも行動を制限しないといけないとなれば、感染症のリスクよりも大きくて長期的な人々や社会への影響も考えられます。そういう状況下では、発想を変えていかなくてはいけないのかもしれません。

 オランダを含めヨーロッパは、宗教や文化などが異なる人々が生活しており、多様性が進んでいる国が多いです。そのため、法律の規制がなければ人々の行動を制限することは難しいです。
 オランダでもロックダウンの時は、店内でのマスクの着用や公共交通機関でのマスク着用をしていないと罰金が課せられました。また、ドイツにおいても、2022年の夏の旅行をした時は公共交通機関では着用義務がありましたが、着用が必要なところとそうでないところがはっきりと分かれていました。

 日本では法律の規制をしなくてもいろんな人が対策のための行動を取ることができます。その意識は誇らしいことで素晴らしいことでもあり、日本の国民性をよく表していると思います。
 しかし日本の課題としてあるのは、よく番組や書籍などで言われていますが、「一度始めたことを緩める、もしくは止めるのがなかなかできない」ということです。私も日本での生活経験しかない時は、「見えない大きな何か」に縛られていたように思います。
 実際に子どもたちが「マスクを外すのが怖い」「着けていることが普通になってしまった」という状況になれば、健康面ではない精神的な面でのリスクも十分に考えられます。

マスクは「外さない」のか、「外せない」のかでは大きく異なる

 オランダにいる時も、日本の子ども達向けにオンラインの授業をしていましたが、「入学の時からずっとマスクを外すことができない、もう外でマスクをずっと着用しているため取るのが怖い」という話を聞きました。また、そういった気持ちを持つ子がたくさんいることがメディアなどでも紹介されています。

 ヨーロッパの個人主義に基づく社会では「それぞれがどう考え、どう行動するのか」が重視されます。そのため、オランダでもごく少数ではありますが、健康リスクを考える人はマスクを着用します。もちろん、しないという選択をする人はそれで良くて、どちらにしなければいけないという話にはならないのです。

 私たちもオランダで暮らすようになってから「自分で考えて決める」という考え方に基づいた行動をするようになってきたのですが、果たして日本で「マスクは自分の健康リスクがあるから着用している」と考え、自らの意志で着用している人はどれぐらいいるのでしょうか。

 オランダでは、最も規制が厳しかった時でも外出時のマスク着用を義務付けられてはおらず、公共交通機関や店舗でのマスク着用が求められました。他には、レストランや美術館などを利用する際のワクチン接種証明や陰性証明などは必ず必要でした。しかし、人々のメンタルヘルスなどへの配慮もあり、規制は次第に緩くなってきたのです。

 日本でも自らの意志でマスクを「外さない」という選択はあって良いと思います。しかし、「外さない」と「外せない」では大きな違いがあります。マスク着用を強く進めてきたからこそ、今度は外したくても外せない人たちへの呼びかけをし、人々が自分で考え判断する機会も設けてあげてほしいとともに、教育でもそういった力を付ける必要があると強く感じました。

やっぱり顔の表情を見て会話したい

 オランダに戻ってきてから娘の学校の送り迎えで、クラスメイトの保護者と挨拶をしたり、店で店員と表情を見て会話できることは、精神衛生上大切だと思いました。相手の表情が見えないということは、心に閉塞感をもたらします。
 個人が自分で考えて自分にとって必要な行動が取れるということも考えていかなければならないのかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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