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違いがあってもダメな子なんて一人もいない『窓際のトットちゃん』から学ぶこと[420]

 先日、家族で映画「窓際のトットちゃん」を鑑賞しました。この作品は、1981年黒柳徹子さんが自叙伝として出された作品で、2023年に単一の著者で自叙伝として最も多く発行された著書としてギネス記録に認定されたそうです。それと同時に映画化もされました。

 私たちがこの映画を鑑賞したきっかけは、私が何か家族で観られる映画はないかと探していたところ、「窓際のトットちゃん」というタイトルを見た妻が小学生の時に大のお気に入りだった作品らしく、映画化されたものを一度観てみたいと言ったことでした。子どもも映画のジャケットのイラストを見て興味が湧いたようです。2人が観たいならと何気なく私も一緒に観たのですが、笑いあり涙ありの非常に素晴らしい映画でその後もいろんなことを考えさせられる作品となりました。

 この作品は第二次世界大戦期の日本が舞台となっており、戦争当時を過ごした人々の心模様が理解できたり、子どもたちの発達に必要な教育とは何かという非常に深いテーマを与えてくれました。この本では、冒頭に「この本を、亡き、小林宗左作先生に捧げます。」と書かれています。彼女の自叙伝ではあるものの、トモエ学園の小林先生への感謝が感じられる愛に溢れた作品です。
 今度日本に一時帰国した時は、書籍を購入して家の本棚のお気に入りの一冊として迎えたいと思います。

 まだ作品の内容を読んだことがないもしくは映画を観たことがないという方は、ぜひご覧になっていただきたいと思います。ちなみに20ヶ国以上の言語に翻訳されているということだったので調べてみると、英語はもちろんのことオランダ語に翻訳されたものもあるそうです。

 ここからは私が映画を観て感じたことなどをまとめています。目次以下は作品の内容に触れてしまうところがありますので、これから作品をまっさらな状態でご覧になりたい方は先に作品をお読みになってからが良いと思います。

 ここからは私の学習記録としてのまとめになります。今後は日本語教室やIBDP日本語Aとして学んでいる生徒たちにも紹介していきたいと思います。その時にテーマに関する議論としてここに残しておきたいと思います。

時代が変わっても変わらないもの

 当時は1940年代の第二次世界大戦期ですが、子どもたちの様子は現代とあまり変わらないように感じました。いろんなことに興味を持ち、楽しく遊んでいる姿が描かれています。

 当時の小学校では、「ヘイタイ」などが黒板に書かれて授業が行われていることから、まだ軍事が中心の国家であることが分かり、指揮命令や組織を統率する力が優先された時代です。そこで、先生の言うことが聞けないとダメな子というレッテルを貼られ、トットちゃんはなぜ自分が困った子と言われるのかわからないと困惑している描写もあります。

 現代でこそ子どもらしさや個性などが尊重されつつあるようになってきましたが、当時はまだまだ集団や目上の人が優先される社会です。その中で、それを理解して適応する子もいればそれに適応できないで悩む子もいます。その一人がトットちゃんで、トモエ学園にいた子どもたちはみんな自分らしさを持つことができていたと思います。黒柳徹子さんは、「トモエ学園の小林先生がいなかったら今の私はない」とおっしゃっていました。

トモエ学園で行われる教育

当時では珍しい「個」を重視する教育

 トモエ学園で行われる教育は現代の私たちにとっても魅力的で、この時代にこんな教育方針の学校があったことに驚きました。校長である小林先生は、どうやらヨーロッパに教育を学んだ経験があるらしく、そういった個を重視する考え方は1940年代ではかなり珍しい教育方針だったのではないでしょうか。しかし、トットちゃんを含めそこに通う子たちはそこに自分の居場所があると安心感を抱き、楽しい学校生活を送っていました。

「君は本当は良い子なんだよ」

 トットちゃんが初めて学園に訪れた時、果てしなく続く話に耳を傾ける小林先生の姿が印象的でした。さらに、話したいことをすべて話し終えた後に「なんでみんな私のことを困った子だって言うの?」とトットちゃんは自分の中にある不安を吐き出すことができました。小林先生は子どもの話を最後まで聞くという姿勢を貫くことで、トットちゃんの本音にたどり着くことができたのだと思うと、非常に胸が熱くなりました。

 社会生活の中で必要な規律や躾など、ある程度必要とされるもの(人が話しているのを遮らない、教室の中で他の子の学ぶ権利を保障するために授業妨害などは許されないなど)もありますが、個性として伸ばせる部分を「困った子」というレッテルで阻害することは避けなければならないと感じます。

納得するまでやってみる

 学校生活の中で、トットちゃんがトイレに財布を落としてしまうシーンがあります。昼食の時間になってもみんなが食事をしている講堂には戻らず、自分が納得するまで探し続けます。それを見た小林先生は、トットちゃんが納得いくまで探し続けられるようにそれとなく声をかけることだけしかしませんでした。このような「見守る姿勢」は意識していないと難しいかもしれません。多くの大人が「早く戻りなさい」「みんなお昼の時間だからもうやめておきなさい」という声をかけてしまいそうですが、小林先生は「終わったら片付けとけよ」とだけいうのでした。一見放置と捉えることもできると思いますが、どんなことでも納得するまで取り組ませるというのは子どもの頃は大切な体験だと私は感じました。

 私自身も教室の授業や日本語のレッスンにおいて、どこまで子どもたちに自由にさせてどこからをこちらの指示に従って動いてもらうのかは常に考えて判断しています。大変なことですが、なるべく子どもたちの発達を余計に阻害することがないよう、子どもたちの成長に必要なものは何か、そもそも子どもたちの成長とはどういうことを表しているのかについて考え続ける必要があると思っています。

 トモエ学園の子どもたちは、自由が保障されていても、きちんと学んでいる姿がありました。そういった自主性に配慮しつつ、学習の機会が食事の時間にも散りばめられている(おかずを海のものと山のものに分ける)ことは非常に魅力がありました。こういう場所では、学ぶことは楽しいもの、自分を成長させるものと子どもたちは考えているのではないでしょうか。
 新しい校舎として汽車が学園に来る時も、小林先生は子どもたちの意見に耳を傾けており、教室での勉強以外にも大切な学びがあるということが分かります。

 私が小学生の時、校長先生はよくグラウンドに出てきていろんな子どもたちと話していました。小林先生を観て、私も小学校の時に校長先生といろんな話をしたのを思い出します。

先生も失敗する

 ある日「人類の進化」についての授業が行われていました。人間は長い年月をかけて猿から進化してきたという説明をする時に、先生が体の小さい高橋君という男の子に向かって「あなたにはまだ尻尾があるんじゃないの?」とからかい、教室にいるみんなが笑っている場面がありました。その場面は単なる冗談として過ぎていきましたが、小林校長はそれを見過ごさず、その後きちんとその先生に注意しています。単なる冗談であっても、本人を傷つけるようなことはあってはならないという姿勢がそのやり取りの中で感じ取られました。きちんと自分の失敗と向き合うということを小林先生は示してくれたのだと思います。

泰明ちゃんとの出会いそして別れ

 トットちゃんはトモエ学園に入学し、自分らしさを取り戻すことができました。それに次いで、クラスメイトの泰明ちゃんとの出会いも非常に重要な出来事だったと思います。

 小児麻痺で体の自由が効かない泰明ちゃんは、他の子たちと一緒に行動することを躊躇し、それが常態化しています。午後のクラスの散歩や急遽決まったお泊まり会にも参加することを遠慮しています。これは小林先生が声をかけてもなかなか変わらないものでした。
 しかし、新しい校舎として車両が運ばれてくるお泊まり会が行われている夜、彼は自宅で寝る前にお母さんに「今夜はね、、、満月なんだって」と言います。この時、彼は本当は行きたかったという心情が感じ取ることができます。これは私の推測ですが、おそらく自分の体が思い通り動かないことで他の人に迷惑をかけていると感じた経験があったのかもしれません。散歩に行かず教室にいる時も、小林先生から散歩にいかないのかと尋ねられて「僕歩くの遅いから、、、」と答えています。このことからも、みんなに迷惑をかけないように遠慮する態度が固定してしまっているように感じます。

 そんな泰明ちゃんに対し、半ば強引ではあるものの、トットちゃんがその閉じこもってしまった殻を割ってくれました。プールに一緒に入って自分の身体が軽く感じられるという新しい発見をした泰明ちゃんは、夏休みにトットちゃんと木登りにチャレンジしてみたりと自分の殻を少しずつ破っていきます。

 木登りをして服を汚してしまったその日の夜、初めてその汚れた服を見た母親は涙を流して喜んでいました。それまでに綺麗な汚れていない白いシャツを見ていたシーンが何度もあったので、母親としてはもっと子どもらしい生活をしてほしいという望みがあったのかもしれません。泰明ちゃんの母親が「本当ね、これだとお洗濯が大変だわ」と言いながら涙を流して喜ぶ母親の姿に私も胸を打たれました。母親の心境は直接描かれていませんが、「本当はずっとお友達と思いっきり遊びたかったのね」という安堵感のようなものがあったのだと思います。

 現代では、ひょっとしたら「怪我をしたらどうするの」「他の人の迷惑になるわ」などの大人からの言葉が先に来てしまうのかもしれません。私も木登りのシーンは少しドキドキしましたが、トットちゃんと一緒に木登りにチャレンジしたことで得られる充実感や達成感を考えると、何でもかんでも大人が決めて子どもたちの決定や行動を狭めることも良くないようにも思えます。

 そして、泰明ちゃんとの別れは突然やってきます。クラスのみんなに泰明ちゃんの死を知らせた小林先生はみんなの前で涙を流します。トットちゃんはその知らせを聞いた時に、夏祭りの時に飼い始めたヒヨコの「ピッピッピ」と姿が重なったのでした。そのヒヨコは、トットちゃんの両親から「その子は体が弱くてすぐに死んでしまうからやめておきなさい」と言われます。それでもトットちゃんはその子を飼いたいと言う強い気持ちがあり、いわゆる「一生のお願い」を使って飼ってもらうことにしました。しかし、ヒヨコは寿命が早くきて死んでしまいます。

 「体が弱いことで、その存在が軽んじられるもしくは特別扱いされてしまう」ことについて考えさせられました。トットちゃんと泰明ちゃんの腕相撲のシーンでは、トットちゃんが一瞬手を抜いたことに対して泰明ちゃんは本気で怒ります。本当に泰明ちゃんにとって必要なのは、体のことでみんなに優しくされることよりも対等に向き合ってくれることだったのかもしれません。

 夏休みにトットちゃんと楽しい時間を過ごした泰明ちゃんは、トットちゃんが最後に電車に乗るところで何かを言うのですが、それは電車の音でかき消されてしまいます。その時の声が、泰明ちゃんのお葬式の時に教会を去るトットちゃんに伝わります。この世を既に去ってしまった泰明ちゃんから時間を超えて感じ取るというファンタジーな要素によって、泰明ちゃんが本当に楽しい時間を過ごせたことに感謝しているというのがより鮮明に伝わってきました。

第二次世界大戦下で奪われる子どもらしさ

 戦争が始まると多くの大人は変わってしまいます。資源や食糧など節約することが求められ、みんな無理をする分それが子どもたちに皺寄せがいってしまいます。

 泰明ちゃんの葬式の時、トットちゃんは教会からトモエ学園に向かうのですが、惜しまれて失われた命と戦争で無慈悲に失われる命が対比的に描かれていました。街で民衆から戦争に送り出される若者や戦いで足を失ったり、命を落とした人たちの描写をみて、人間が行う争いがいかに恐ろしいものであるかを物語っています。
 こういった風景の中で、トットちゃんは生きることについて本当に大切なことを感じたのかもしれません。

まとめ〜時代を超えて感じる「教育」

 私はIBDP日本語Aを学んでいる生徒たちへのサポートをする能力を高めるために、文学作品や映画などを観て分析の練習をしているのですが、この作品に出会えて本当に良かったと心から思います。

 黒柳徹子さんは、祖母がよく観ていた午後の番組「徹子の部屋」で知りましたがそれ以外の彼女のことはよく知らないままでした。しかし、今回この作品に出会うことができ、子どもにとって本当に必要な教育はどうあるべきなのだろうかということについて考え直すきっかけが生まれたので大変感謝しています。既に社会の仕組みの中に教育があるので、受験や成績など人間社会の中で作り出された枠組みにがんじがらめのような状態になってしまっていますが、本質を見直すことが何よりも大切なのだということも感じることができました。

 また、著者の黒柳徹子さんの日本語はとても美しいなと日本国外で暮らすようになってから感じるようになりました。人を傷つけることのない丁寧な物言いで、目の見えない人にも配慮してオーディオブックを作成したりといろんな方に自然と配慮ができる方なのだということが分かります。
 27秒魂のメッセージとしてもいろんなところで取り上げられていますが、黒人差別のような発言がなされた時に生放送でありながらも自身の差別に対する悲しみを表明されたところも尊敬する気持ちでいっぱいになりました。

 個性が邪魔していると批判されたこともあったそうですが、個性を大切にしてほしいと励ましてくれる方がいたおかげで今の彼女があるという話も非常に印象的でした。テレビを通して世界の平和に貢献したいと考える彼女の信念の強さも魅力的に感じられました。

 以下は黒柳徹子さんについてや、『窓際のトットちゃん』について理解が深まる動画のURLを貼りました。参考になれば幸いです。


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