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私が出会った攻撃的な保護者 - 大人にも必要なコミュニケーション能力[422]

 先日、私が提供している子どもの日本語レッスンで、初めてこちらから継続をお断りするというとても残念なことがありました。
 私は社会に出てから教育に関係する仕事しかしてきていないのですが、ほとんどの場合は保護者と対等な関係を築き、お互いに考えを共有しながら子どもを見守るという良好な関係を持つことができました。こういったやり取りの中では、むしろ私自身が学ぶことも多く、子どもを介して自分の世界が広がる経験ができるようなとてもありがたい出会いがいくつもありました。
 その一方で子どもの学習に対して過度な要求をしてきたり、心無い言葉をかけてくる保護者の対応をしなければいけないこともあり、そこで貴重な時間や精神的な負担を強いられることもありました。そういったことはこれまでに何度か経験してきたのですが、今回の対応は私にとって非常に大きな負担となったので、自分の思考を整理し次のステップに進むための体験記としてここに記録しておきたいと思います。

私のサポートのスタンス

 私は子どもたちが日本語の学習を通じて人間的な成長もできるように、心がけています。そのため、保護者との対話の時間も確保し、家庭言語や日常生活で使用される言語の使用状況(家庭では英語で学校はオランダ語、家庭では日本語もしくは英語で学校はドイツ語など)について伺ったり、保護者がどのような日本語環境を求めているのかについてヒアリングを行い、その子にとって重点的に取り組むべき学習内容などを共に考え提案してきました。

 そのため、保護者は自分の考えをまとめ言語化する必要があります。私が曖昧だと感じたところは、なるべく具体的に言葉にしてもらうようにしています。継承語の場合、週に1度のレッスンで日本語を上達させるには限界があり、家庭での日本語環境も大きく影響してきます。
 中高生ぐらいになると、日本語学習に関してある程度俯瞰的に考えられるようになるので、それぞれに合わせた課題なども基本的には自分で取り組めるようになります。しかし、小学生の間はそれを定着させるのはまだ難しいです。とはいえ、小学生(特に低学年)は宿題をコツコツやると言う習慣はあまり効果的ではないという研究もあったりするので、家庭の事情や本人のモチベーションなどにも合わせて宿題の内容や量を選択しています。

 例えば、そもそも日本語に触れる機会が日常にない場合は、教室のレッスンでも会話や遊びを中心にレッスンを展開します。まず日本語に慣れ親しむというミッションをクリアしないことには次には進めないからです。
 また、日本語の会話が家庭でも十分に行われている場合は、教科書や理科・社会などのネタも取り入れながら日本語学習を進めていきます。

 このように書いてはきましたが、全てをうまくやれているという自信はありません。それでもなるべくこれを基本的なスタンスとして、保護者と本人の学習に対する需要に合わせてこちらから学習内容と課題などを考えるようにしています。
 そして、授業の中で見られた子どもたちの成長、気になったことなどはなるべく報告するようにしています。そうすることで、日頃のこちらの子どもに対してのスタンスを理解してもらえたり、保護者もちょっとしたことでも相談しやすいというメリットがあります。中には教室で迷惑をかけてしまっていないかと心配してくださる保護者の方もいるのですが、そうではなく「一緒に子どもの成長を見守っている」ということを理解していただけたら良い関係を築くことができると思っています。

要望と強要の違い

 私が子どもたちのことを全て正確に把握できているわけではありません。教室外のこと子どもたちの様子は私が直接知ることはできません。当たり前のことですが、教室外での時間が子どもたちほとんどを占めています。そのため、家庭での様子やこちらの授業内容に対するフィードバックを貴重な情報としていただいています。
 例えば、「家で日本語で話すようになった」「日本語の宿題も自分から取り組むようになった」というポジティブなものもあれば、授業の進め方や宿題の内容について改善を求めるフィードバック(学習レベルの調整や科目の追加)などもいただきます。特に授業をスタートさせた時は、保護者からの意見も重要でその意見も踏まえて最終的な調整をします。

 このようにお互いに意見を出し合ったり、考えを共有するプロセスは必要ですが、時にこちらのスタンスを変えるようなところまで要求をされることもあります。提案や相談は喜んで引き受けるのですが、「合わないと感じたならば学ぶ環境を変えれば良い」という考えが根付いていない保護者は、自分の要求を頑なに通そうとしてくることがあります。その時は対話ではなく一方的な要求になっているので、関係は良好であるとは言えません。

要求と現実の矛盾を押し付ける

 週に1度の限られた時間の中で、日本語レッスンの内容はよく考えて決める必要があります。楽しく学べる環境を作って、子どもたちが「またここに来たい」と思えるには遊びや会話など、日本語でのコミュニケーションを活発にさせる必要があり、その上で学習面での負荷をかける必要があります。
 ただでさえ、継承語としての日本語は「できない、わからない、難しい」の連続です。そのため、初めは少し簡単なレベルから始めていき「自分はできる!」という自信を持つところから少しずつ負荷をかけていく方針は予め保護者に共有しています。しかし、それが待てない保護者もいて「簡単な問題ばかりだと意味がない、もっと授業で難しい問題をやってほしい」という要望を強く求めてこられる方もいました。
 私の立場からすると、「教室に楽しく通ってほしい」と言いつつも授業ではもっとたくさん難しい問題にチャレンジさせてほしいということを強く求めることに矛盾を感じます。そういった旨を伝えた際に保護者からは「それはあなたが工夫して取り組むことだ」と言われることもあり、任せている割に自分の主張を通そうとする保護者への対応には少し困惑することもあります。そういう時は「それなら自分でやればいいのに」と正直に思ってしまいます。笑

相手への配慮を欠いた言い方

管理と不寛容

 私の教室では30人以上の児童生徒が、教室の対面やオンラインでのレッスンを利用しています。そのため、急なキャンセルが可能になるとそのレッスンの時間帯に他のレッスンが入れないまま時間だけが消化されてしまいます。とはいっても、小学生ぐらいだと急に体調が悪くなることもあると思うので、ある程度の期間までの連絡であれば他の日程に変更できるという簡単な規定を設けています。そうすることで安易なキャンセルを防止しつつ、こちらの全体的なスケジュール管理が円滑にすることができます。ただ、何事にも長所も短所もありますので、他の日への変更が可能ということはフレキシブルである分、保護者にはスケジュール管理が求められます。

 ある日、通常授業の時間を勘違いして授業に来るのを忘れていた保護者がいました。念の為、授業開始10分の段階でこちらから連絡すると、「てっきり忘れていたから、他の日にしてほしい」ということを言われました。もちろん事前にレッスン直前や開始後の振替はできないことは伝えてあります。
そういったうっかりミスは他の利用者のスケジュールにも影響が出るので、振替が不可能であることを伝えると、「あなたは寛容ではない」「子どものためを思ったらできるはずだ」というようなことを言われたことがありました。それに対して、私ははっきりと「子どものことを思うのであれば、保護者がスケジュールの管理をしっかりしてあげてください」とお答えしました。このように、あたかも自分のミスをこちらの対応が悪いというようにおっしゃったので少し困惑することがありました。
 挙げ句の果てには、「学校にはそういったミスが起こらないようにアプリがあります。これを日本語教室にも導入してください。」というようなことをおっしゃられて、学校は多額の資金を投入してアプリを導入しているのに、その話を個人レベルで運営している日本語教室に導入することは一緒だと考えているところにも驚きました。

自分が気になるところだけを指摘する

 授業に関してのフィードバックは非常にありがたいのですが、細かすぎることをその都度聞いてこられる方もいました。日本語を書くための練習ノートを購入してもらった後に、何回かテーマ学習を取り入れていたのでプリントに文字を書いたり絵を描く活動などをすると、「ノートを買ったのになぜ今日は使わなかったのか」という質問をしてきたり、授業進度の区切れで宿題を出さなかったら「なぜ今回は宿題がないのか」ということを言ってこられることがありました。これはよくあることなのですが、そうやってこちらにいろんなことを要求してくる割には、ご自身が課された子どもの宿題をする時間をとっておらずやらないまま持ってきたり(低学年の子なので私はそもそも宿題は出さなくても良いと伝えているにも関わらず)、ご自身のスケジュール管理が甘く振替の日程を忘れるということがよくあります。

授業時間にPCを使うな

 私の授業では、いろんな年齢もしくは日本語レベルの子が一緒に学習をするため、3人いたら3パターンの学習を展開しています。そのため、それぞれの授業進度を入念に記録しておく必要があり、また漢字の読み取りテストなどをオンラインに入っているコンテンツ(クイズレット)を使い、教科書や読んだテキストに関連する動画を観たりするので、PCは授業では欠かせないものになっています。
 ある日、子どもたちの休憩時間の時に、私がスケジュールを忘れがちな保護者に対して、スケジュールに関する連絡をしたことがありました。日頃はメッセージなどは使いませんが、緊急の時やその後の授業が連続していて連絡そのものを忘れてしまいそうな時には使っています。念の為に授業に関する簡単な連絡を送ると「授業時間にPCを触る余裕があるんですね」と言われ、連絡はその1回しかなかったにも関わらず嫌味のような指摘をされたことにも驚きました。

連絡を複雑化する

 これは事務的なことですが、多くのご家庭と連絡を取っていると、こちらは連絡ミスが起こったり重要な連絡を見落とさないようにする必要があります。そのため、家庭とのやりとりはメッセージアプリでグループを作成するか代表の方とのやりとりに絞っています。しかし、「授業の連絡は私に、振込に関してはこのアドレスに、授業カレンダーは両方にお願いします」というように、家庭内で部署のような対応に合わせるように求めてこられる方もいました。多くの方を相手にしているという想像が難しいのかもしれませんが、こちらの要求に合わせず頑なにそれを突き通そうとする方もおられました。

対話する力を持っていない大人

 ここまで色々とあったネガティブな出来事ををまとめてきたのですが、今回継続をお断りしたご家庭は、このケースのほとんどの事象が当てはまっていたのです。何か小さな問題が起こったら、その都度こちらの考えや姿勢、教室のサービスを利用する人に対して求める一般的な姿勢についてお伝えしてきたつもりです。この度重なるやり取りの中で、私が最も負担に感じたのは私が伝えたいことが捻じ曲がって伝わっているということでした。
 その保護者と度重なるやりとりをする中で「あなたはなぜそんなにストレスを溜めているのか、日本でストレスがあったからここにいるんでしょう、ここでも同じようにストレスを溜めてどうするんですか」という、知りもしない私情に対して勝手な決めつけをされた発言をされ、これ以上のやりとりはお互いに改善できる余地がなく、これ以上の対応をしたくないと私が判断したために今後の継続はお断りするという結論に至りました。
 お子さんは非常にコミュニケーション能力が高く、学ぶ意欲も感じられたのでできるところまでサポートをしてあげたいと思ったのですが、私がこれ以上その方と関係を続けると他のことに支障が出てきそうだったので少し残念な気持ちもありましたが、もう仕方ないという感じです。

最後に〜合わないものは合わない!

 今回のようにネガティブなことに気持ちが引っ張られてしまうと、本来の子どもたちとの時間に悪影響が出たり、授業のアイデアや書籍などからインプットする時間、そして自分の大切なプライベートな時間にまで影響を及ぼします。
 今回はこの記事を書いて自分の中で気持ちを整理してこれで終わりということで、気持ちを切り替えてクリエイティブな生活に戻りたいと思います。

 かつて私が高校現場にいた時も別の種類でクレイジーな要求や責任を押し付けてくる保護者がいました。「子どもに敬語で話すように言ってくれ」「うちの子が進級できなかったのは、あなたが根回ししたからだ」など、今振り返ってみるとそういったことに対して、自分が最大限頑張ろうとしてしまっていた過去があった気がします。
 日本を出てからは、「無理なものは無理」「私ができるのはここまで」「これ以上は私ができる範疇でなない」という線引きをすることの大切さを学びました。もしこの経験がなかったら、できない自分が悪いと責めていたかもしれません。

 しかし、よく考えてみるとこのような精神が削られることよりも、たくさんの素晴らしい出会い、いただいた感謝の言葉が私を支えてくれているので、ネガティブなことに支配されるのではなく、それまでに素敵な思い出も忘れないようにしておきたいとも思いました。
 確かに今回のようなケースは、それまでに私自身ができたはずのことがあったのかもしれません。しかし、自分なりに関係を取り持つためにやるべきことは行ってきたという自負はあるので、今回のことはこれで終わりにして次に進もうと思います。

 他の日本語教室や週末補習校の先生をしておられる方も同じような保護者にたまに遭遇するようで、その度に精神が削られる思いをすることもあるというお話を伺った事があります。そういったネガティブなことに引っ張られず、自分が行う教育で子どもたちが少しでも健やかに成長してくれたらという思いでこれからも頑張っていきたいと思います。

 ここまでお読みいただいた方は、貴重な時間を最後までお付き合いいただきありがとうございました。良い経験も悪い経験もすべて自分の今後の成長の糧となるようにしていきたいと思います。
 また、この記事を読んでたまに現れるクレイジーな保護者への対応で悩んでいたりそのせいで本来の素晴らしい力が発揮できていない方がいたとしたら、少しでも何かの励ましになれば幸いです。

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