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モノを知る、ということ

50過ぎたからか人の名前を思い出せない。当たり前だけど、そういうときはその人の「名前」だけ思い出せないわけで、その人の「性状」や「姿形」、もっといえば「雰囲気」まではばっちり認識している。「こんな人いたっけ?」となるわけではない。

植物とか鳥の名前を覚える。まずは名前を覚えるところから。名前を覚えると、知った気になって嬉しい。「あ、キビタキ」「おう、キキョウソウだ」となんだかウキウキする。
だけど、これは「姿形」だけを認識しただけで、まだこの子たちの「性状」も「雰囲気」もよく知らない心もとない状態。
だからやっぱり記憶も心もとない。しばらくたつと名前もこんがらがり、わからなくなってしまう。ヒドリガモとホシハジロが混じったり、キキョウソウもムラサキサギゴケもただの紫の花としかわからなくなったり。
じゃあどうするか。たぶん人付き合いと同じで、何度も会うことが大事なんだろう。
何度も会えば、いろんな側面が見える。意外な顔が見えたりする。面白いと思う。ウキウキする。
雰囲気まで覚えてやっとそのモノを「知る」ということになるのね。きっと。
そうなると会うのも楽しい。もう名前なんて忘れても大したことない。そういうレベルになりたいね。

だから、「なーんだ、ヒヨドリか」なんて言っちゃダメですよ。・・・はい、反省します。

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