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心にズカズカ上がり込んでくれ

デリカシーのない人は嫌いだ。


人の心に土足で上がり込んできて、空き巣のように引っ掻き回して。


取り残された僕は、乱された心を整えるのに時間がかかる。


自分のペースを乱されたくないから、多分僕はデリカシーのない人が嫌いなんだと思う。


けれども、僕はこれまで心にズカズカ上がり込んでくる人たちに助けられてきた。


そんなことをふと思ったのは宿木雪樹さんのこのnoteを読んだから。


「仲間に入れて」


僕はこんな簡単な7文字を伝えることができない人間だ。


斜に構えて物事を捉えてしまうから、小さい頃からあとのりで「輪」に入ることがすごく苦手だった。


自分が始めた「輪」でないと満足いかない傲慢な人間。

それでいて「輪」をつくることのできない矮小な人間。

そうした僕をするりと「輪」のなかに溶け込ませてくれたのが心にズカズカ上がりこむ人たちだった。


中高大社会人、人生の節々のタイミングで示し合わせたようにその人たちは僕の前に現れた。


その人たちはデリカシーがないわけじゃない。


心にズカズカ上がり込んでくるけど、玄関先でしっかりと靴は揃えて上がり込んでくる。そんな人たちだ。


なかでも大学生の時に出会ったその人は、心にズカズカ上がり込んできて、こっちが出したお茶を「粗茶だね」と言ってぐいっと飲み干すような人だった。靴はきちんと揃えていたけれど。

その人と出会ったのは大学生になったばかりの春。


その衝撃の出会いを僕は忘れない。


奇跡的な出会いだったわけでも、運命の出会いだったわけでもない。


僕が衝撃を受けたのはその人の格好。


デニムonデニム。


デニムに、デニム。上を見ても、下を見てもデニム。デニムデニム。


そしてピンクのメガネにシャギーのきいた髪型。


翌日会ったときにはストレートヘアーに裸眼で、僕は昨日のその人と今日のその人が同一人物だということに自信が持てなかった。


大学生活は、その人が僕を「輪」に引き込んでくれた。


その人がいなければ隅っこでただ口を開けて雨と埃だけを食べている学生生活だっただろう。


その人はお酒を飲む席ではすぐ片膝を立てて座る。


決まってイカの足を齧りながら「最近どうなん?」とニヤニヤしながら聞いてくる。


普段はあまり人に感情を見せることが得意ではないが、その人の前ではそうではなかったような気がする。


だって、心にズカズカ上がり込んでくるから。


空き巣のように片っ端から引き出しを開けていく。


大切なものには触れないように、大雑把に。


その人との時間が心地よいのは、その人が大して僕に興味がないから。


自意識過剰な僕は、「輪」に入りたいという気持ちが人にどう写るのか、その言葉が人にどう聞こえるのか、「輪」に入れていないという事実が自分の人間性をどう物語るのか、そんなことばかり気にしてしまう。


だから心のどこかで、いつも心にズカズカ入り込んでくれる人をずっと探してる。きちんと靴は揃えてね。


相変わらずデリカシーのない人は嫌いだ。


けれども、人との距離をノータイムで詰めていくような図々しさをもった人は、きっと、僕にとって、とっても大事。


座右の銘は他力本願。


そんな図々しさは僕も持っているのだけど。




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