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"おもしろい"に餓えている

 おもしろいには種類があると思う。興味深いもの、感動するもの、笑えるもの、驚きのあるもの……、いずれもおもしろいと十把一絡げに言えてしまう。
共通点はなんだろうと考えたとき、すぐに思い浮かんだのは、それに時間を使っても惜しくないもの、だ。

 観光、観劇、絵画、音楽、テレビ、ネット、映画、読書、SNS……、エンタメに溢れる現代。
"おもしろい"はそこら中に溢れているように見えるし、そう感じている人も多いだろう。
でも、僕は不満である。どれもこれも大抵はおもしろい。人に面白いと思われるツボを心得ているし、ある一定のレベルを越えているものが多いと思う。

でも、腹がよじれるような大爆笑や、心臓がぶち破れるようなドキドキがない。一個もない。はてして、限られた人生の時間をそれに使うのは惜しくないのか。

 勘違いしないでもらいたいのは、エンタメに不満があるのではない。エンタメにそれを求めるのは、酷を超えて不条理である。なぜなら、人間がもっとも感動するのは自分がその出来事の当事者であるときだから。

エンタメとして最高のものだとしても一般人の日常には敵わないのだ。
営業マンは、スパイ映画の興奮や恋愛映画の一喜一憂よりも、自分の営業成績の昇降下に心動かされている。

 エンタメを貶めているのではない。自分の人生の楽しみを全てエンタメに委ねるのは些か惜しいのじゃないか、という話。本当の感動は自分の日常にしかない。

 そして、僕は人生の楽しみをエンタメに委ねてきた一人だ。僕の人生がおもしろいかそうじゃないか、それは僕の選んだエンタメがおもしろいかそうじゃないかで決まってしまっていた。
まあ、それはそれでわるくはないかもしれない。

 でも、僕はもっと"おもしろい"を感じたい。腹筋が崩壊するまで笑いたい。涙腺がばかになるまで泣きたい。内臓が口からはみ出るくらい激怒したい。絶叫するほど喜びたい。

 僕はおもしろいに餓えている。

最後まで読んでくれてありがとー