コーヒー

「こんな暑い日にはあえてホットコーヒーを飲みたいですね。
遅れてすみません」
今日は客がまばらだったせいか喫茶店コリントに山本Dの声が響いた。
僕と新谷Dは、山本Dが来る前にアイスコーヒーを頼んでいたが
「そうですね」と答えた。
さらに新谷Dは得意げに
「それに暑い日に熱いラーメンも最高ですもんね」と言った。
山本Dは座りながら
「それは、ちょっと違うけどね。あーホットコーヒーが飲みたいな、こんな暑い日は」
と言って、おしぼりで汗を拭いた。汗だくだ。
確かに暑い日だ。
新谷Dは負けじと言う。
「じゃあクーラーをギンギンにきかせて
毛布にくるまりながら食べるアイスもいいですよね」
山本Dは「それは、全然違うけどね」と被せ気味に言った。
僕も確かにラーメンの方がまだマシな例えだなぁと思った。
すると山本Dはここからが本題だと知らせるようにメガネを外して
「まあ、そんなことはいいとしてコミュニケーションって大事ですよね」と切り出した。
やけに「ミュ」にアクセントを置いた言い方だったのが気になったが
大事な話が始まりそうだったので、僕は黙って聞いていた。
山本Dは「ふぅ」とため息をつき、メガネをかけた。
「僕も上の立場になってわかったんですけどね。
なんていうか、自分のコミュニケーション能力が足りないのを
相手の理解力のせいにする人が多いと思いませんか?
ディレクターがADを怒っている理由は、ほとんどそれさ。
上の立場になってわかったんだけども」
その時、店員が僕と新谷Dのアイスコーヒーを持ってきた。
山本Dは「僕はいつもの…」と少しためて「コーヒーで」と
店員さんにウインクした。
山本Dはウインクがうまい。
メガネを微動だにさせずにウインクができるのだ。
店員は無表情で「わかりました」と言った。
新谷Dは店員が去っていくのを確認して
なぜかアイスコーヒーの中の氷を口に含み
「つまり、ADに指示したことができてなかった時に、
ADを怒らず、自分の指示の仕方が悪いと思え、ということですか?」と聞いた。
山本Dは「それは…あってる」と残念そうに呟き
「自分ではわかっていることを相手がわかっているとは限らない。
指示する上で本当に必要な情報を相手に伝えているか、検証すべきなんだ。
ふぅ、ホットコーヒーはまだかしら」と
汗を拭いた。まだ汗だくである。
僕と新谷Dはうなずきながらアイスコーヒーを飲んでいた。
山本Dは
「まあ、自分がもう一人いればそんな苦労なんていらないんだけどね。自分のクローンをいっぱい作って、カメラ、編集、演出、すべてを自分でできたらいいんだけどなぁ、ひひひ、グフ」と恐ろしいことを言っていた。
その時、店員が山本Dのコーヒーを持ってきた。
新谷Dが氷を噛み砕く音が店内に響いた。
少し沈黙が流れた後、
山本Dは店員に何も言わずにそのコーヒーを飲み始めた。
もう汗は引いていた。
アイスコーヒーだった。

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