脆い時には言葉を綴る
ほとんど人と話す機会を失っているが、それほど負担になっていないのは、こうして文字にして言葉を綴っているからだろうか。
音声による言葉と文字とでは違うところがある。
ただ、どこか心に不安があるとき、脆くなっているときには、こうして文字に綴る方が良いのかもしれない。
自分のペースで。自分のタイミングで。探り探りしながら言葉を紡いでいく。
心に余裕があるときであれば、誰かと話すのもいい。でも、相手や話題によっては、心に負担があることもある。その負担を楽しむのも会話なのだけれど、それにちょっと自信がないときには、こうして一方的に言葉を綴るのが良いのかもしれない。
久しぶりに御苑に散歩に出かけた。
いつだったか、世界堂で画材を買って、御苑の芝生の上で絵を描いた。それを、今回もしようと思った。
平日だったからか外国の言葉にあふれていた。それは、観光客が多かったからだろうか。それとも、日本人には、天気のいい平日に御苑で過ごすような自由がないからだろうか。
そのときに描いた絵は、どこかあたたかく、気に入っている。
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