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『父親』について思うこと

■「父親」が意味するもの

パパ、お父さん、父親。
同じ存在(男親)を指す言葉だが、使い方やイメージは違う。

僕が感じるのは、『パパ』や『お父さん』は、子どもが幼い頃から年を重ねて、変化する呼び名。
それに対し、『父親』は呼び名ではないので、「あ、父親、おはよう!」なんて場面はない。
単なる呼び名を超えてもっと広い視野で考えるもので、自分の中の思い出や『父親とはどうあるべきか』と問いかける時に出てくるのではないだろうか。

一緒に遊んだ楽しい思い出。叱られた苦い思い出。
目指す姿であり、ある時は反面教師、そして、心の拠り所にもなるのが父親なのだと思う。

父親に対する想いは、講演会の参加者やパパ仲間と話していると、大きく2パターンある。
「自分の父親のようになりたくない」と語るタイプと、なりたいタイプ。
度合いの違いでグレーゾーンもあるが、あなたの場合はどうだろうか?

少し、父親との思い出を振り返ってみよう。

■父親との思い出

僕の幼い頃を振り返ってみると、父と一緒にキャッチボールやサッカーなどをして遊ぶシーンは思い出せない。別に父と確執があったわけではない。家族旅行や、趣味の盆栽の手伝いをしてお小遣いをもらった楽しい思い出でもあり、夫婦仲も良くてお手本にしたいと思うタイプだった。
今風に言えば、仕事も趣味も楽しんでいる父親と言えそうだ。

家庭のことで強烈に印象に残っている出来事もある。
僕が中学生の頃、母が足の手術でしばらく入院した期間があった。その間、周りの協力も得ながら、家のことをやりくりしてくれたのが父。
それをきっかけに、母の退院後も、洗濯物を干したり、ちょっとした料理を作ったりと、夫婦で協力して家事をする姿があった。
もっと記憶をさかのぼると、インスタントのカップ焼きそばを作ろうとして最初にお湯とソースを入れて3分後にお湯を切り、「なんやこれ、いっちょん味がせん(熊本弁)」と言っていたのに・・・。

僕が大人になって、父と二人で話す機会があった。
そこで、家のことをやっていた理由を尋ねてみると、「共働きだったから当たり前だろう」とさらっと言った。
その瞬間、今の僕があるのは、父が土台を作ってくれたからだと感じた。

もうひとつ突っ込んで、祖父(父の父)も家のことをやっていたのかと聞いてみると、台所に入った事もないいわゆる頑固親父だったそうだ。

そういえば、母方の祖母が、「あなたたちの面倒をよくみてて、女の人みたいだったよ」と父のことを語ってくれたこともある。ひと昔前の価値観では珍しかったようだ。

■父親としてのバトン

父親との思い出を振り返って感じたことがある。

それは、僕たちは変われるということ。

「自分はあんな風になりたくない」と思うのであれば、どうなりたいかは選ぶことができる。そして、そこから次の世代に受け継がれる。
我が家の流れでは、父の代で、家のことに手出しをしない頑固おやじから家事に積極的な父親へと切り替わったのだ。

その父のバトンを受け継ぐようなかたちで、僕もひと通りの家事・育児をやっている。
我が家のスタイルは、あえて役割分担を固定せず、できる方ができることをやる。
料理は妻、掃除・洗濯は僕となる割合が高いが、その日の状況に合わせて逆になることも。
お互いに完璧を求めないことも意識を合わせている。こだわりが強くなり過ぎると、できてないところに目が向いてしまいがちになるから。

家庭環境や働き方はそれぞれ違うし、社会の変化が激しいと言われる現代なので、何が良いのかは家庭によって違うだろう。
僕たちの父親世代とは仕事の種類も異なり、場合によっては自分の父親と同じやり方は通用しないかもしれない。

でも、どんな時代でも、夫婦で話し合うことは欠かせないし、自ら学ぶ姿、夫婦でお互いを尊重し合う姿は子どもたちに見せたいと私は思う。

僕が活動しているNPO「ファザーリング・ジャパン九州」の名前にある「ファザーリング」は、「父親(ファザー)であることを楽しむ」という造語である。
父親の楽しみ方は、無限大。
縁あって父親という役割を担えるようになったのであれば、自分なりの、その家庭なりの父親像に向き合ってほしい。

さぁ、僕たち世代は、子どもたちにどんなバトンを渡せるだろうか?

※ヘッダー画像は、かりっつさんによる、イラストACからのイラストです

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