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活動を手段とすることで、本質に触れられる

読書が重要だということは、誰もが認識していること。
確かに、読書が知識を培う基盤となることは確かである。
しかし、読書だけが人間を成長させる訳ではない。
書いたり、語ったり、発表したりしながら、さまざまな活動や関係性を通じて人間は成長していけるのではないだろうか。
読書ばかりに偏っても、成長に限界があることに気づいていることが重要である。
読書のみを絶対視するのではなく、読書と他のアウトプット活動を紐づけてデザインする発想が成長を促す。
そもそも、人生の時間は有限である。
ゆっくり腰を据えてできることは、年齢を重ねるごとに減っていく傾向がある。
同時に、数々の作業を同時並行的にスピーディに捌く素養も求められていく。
これまでは丁寧に楽しむ余裕さえあったものが、それにいかに触れ、活用していくのかという点に労力を割くようになる。
自分のアイデアや振り返りの重要性にも気づく。
テンポ良く切り替え、リソースを回転させ、貢献に結びつけていく。



人は社会的な生き物だと言われるように、関係性の中で活動を位置付けていくことができた時、絶対視から脱却できる。
正攻法でいくよりも、順番を入れ替えるだけで、見せ方を工夫するだけで人生が拓ける経験をすることもあるだろう。
もちろん、一つのプロダクトに頭を捻る経験も必要になってくる。
しかし、一つの手段がどんな役割や価値を持っているかを知るには、それに溺れるのではなく、一定の距離を保つことが不可欠である。
宗教のように没頭することのみならず、そこから独立した状態を保つ努力も必要なのではないだろうか。
その方が、冷静客観の視点を確保できるはずだ。



このように考えると、何かの活動にのみ偏った人生の一時代を見直す必要がある。
人生の潮の流れを変化させるためには、今までの安住の地に見切りをつける決断も重要となる。
今まで慣れ親しんできたことをある意味、軽く捉え、突き放してみる。
その方が、本質を凝集して活用の方向へと考えていけるのではないだろうか。
これまで全てだと考えていたことをどこに活かすのかという視点から、出口戦略を敷いてみる。
絶対視していたものを手段として考えることで、本当の価値に気づけるのである。

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