歴史と経済81〜ローカリゼーション〜

海外旅行が大好きで、とにかく知らない場所に行くことを追い求める人がいる。
未知の体験を歓迎し、様々なトラブルやアクシデントよりもそこに生まれる新しい出会いを楽しむことができる。
グローバル化の波は海外への移動を容易にした。
そして、外国から日本に移動することも促進した。
この移動の障壁が低くなってきている時代に、地球が一つになるという考え方が生まれてきている。
一方では、そうせざるを得ない環境問題という事情もある。
この課題は世界が一致して協力せねば解決が困難な問題である。
本国で十分な生活の保障が得られなければ、国を出ていき、その保障を提供してもらえる国で暮らすことが選択肢の一つとなる。
日本で生活していれば、これは大胆な選択肢の一つに見えるかもしれないが、海外では明日の生活が危ういとなれば、海外移住は検討されるべきカードの一つであろう。
このような事態が進行すれば、国家は移民に対してより充実した人権保障を整備するよう求められることとなる。
現実はまだ十分に権利保障がなされているとは言い難い。
そして、どの国であっても一定の保障水準が求められるようになるだろう。
そうなってくると、やはり世界は一つになる方向に向かっていく。


しかし、現実にはそうはなっていないのではないか。
イギリスのブレグジット然り、米中の覇権対立然り、自国を優先して世界が一つになることの難しさが露見している段階である。
そして、世界が一つになることが必ずしも良いとも限らない。


たとえば、海外が大好きな人がいる一方で、地元をこよなく愛する人も多くいるだろう。
豊かでも、便利でもない町であっても、自分が育ってきた町を愛する人は多くいる。
まずは、自分の町の経済を回し、持続可能性を維持することを目指す。

日本全国の前に、自分の地元が立ち枯れていくことの方がまずは、大切なのだ。

そして、そのような地元や地域の活性化があらゆる場所で望まれ、その多様性の担保にこそ価値があるとも考えられる。



世界が一つになるという考え方は大切であり、人類が共通して目指すべき価値観であろう。
しかし、同時にローカリゼーションも目指されていることには注意が必要である。
人は崇高な理念と無関係でいられないように、現実では経済と無関係ではいられない。
明日の暮らしが立ち行かないようであれば、まずは現実的に暮らし向きぐよくなるように考えるのではないだろうか。
生活を犠牲にして、理念を取るというのはまさしく現実的ではない考え方であろう。
木材輸出の収入に頼っている人々に環境保護を根拠に森林を伐採しないでくれというのは、その人々の生活に思いが至っていないのではないか。
まずは、人は明日の生活を考えるものだ。


自分の身近な地域を大切にできる環境だからこそ、地球全体を見渡す余裕が生まれる。
その部分を抜きにして、地球市民を語ることは難しい。

明日の生活を立ち行かせるために、地元の経済循環を考える。
この過程において現代世界においてどのような価値観が求められるのかを検討することとなる。
開発だけでなく、だれ一人取り残さない価値観が希求されていることにも目が向いていく。
こうして経済とSDGsを両立する方法論を目指していくことになるだろう。
つまり、開発と保全という相対立する概念をどのように統合させていくかに知恵を絞ることとなる。


そして、その知恵の源泉は歴史を学ぶことにあるのではないだろうか。
歴史学から学べることは、各時代の底流にある価値観や世界観である。
その世界観に各地域がどのように対応したのか、その如何によってうまく立ち回れた国と苦境に追い込まれた国とが出てくる。
そして、どのように新しい活路を切り拓いていったのかという知恵や教訓を学ぶことができる。
ここに経済と歴史が交錯する場所がある。

現代を現在の視点からのみ眺めるだけでは、世界の現状を相対化できず新しいアイデアも湧いてこない。
歴史から様々な時代潮流を捉える方法論を学ぶことで、現代の底流にある価値観に気づいていくことができ、俯瞰的・大極的にこれからの社会のあり方を考えていくことができる。


世界がまとまることが希求されているにもかかわらず、現実がそうなっていないことは、なぜなのか。
そして、まとまることだけが正しいのか。
現実的には、まとまることができない立場の人々の現状も顧慮して、理念をみんなで目指していくべきだはないだろうか。
ここに経済の観点もまた考慮されるべき余地がある。


この観点における議論を深めていくには、歴史と経済が大きな役割を果たすのであろう。

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