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179 自分のゴールに邁進せよ

何かの試験に合格し、どこかの大学に進学することが目標として掲げられる。
確かに、合格することで重要なポストに就けたり、才能を持った人と出会うことができる。
しかし、ゴールを達成することで自分が本当にやりたいことを実現しているのかを問うことも重要である。
その目標は、自分の人生の目標なのかどうかを問うてみる価値はある。

大学に進学し、資格試験に合格したらそれで安泰で、あとは何もしなくていいということではない。
むしろ、盤石の舞台に上がったならば、自分が本当にしたいことを知識やスキルを活用して模索し、実現すべきではないだろうか。
つまり、人生を通じての目標は合格し、目標の仕事に就くことではなく、仕事で何を成すかということである。
合格や進学は世間からも認知されやすい目標として、ある種設定しやすい目標である。
たとえば、英語や中国語をマスターしたいと思って検定を受けてみようというのは、よくある発想ではないだろうか。
では、英語を使って何がしたいのか、英語の習得が自分に何をもたらし、何ができるのかというところは漠然としていることもある。
周囲が英語は重要だと言うので、とりあえず英語を勉強してきたとしても、どこかでは英語を使って自分がしたいことは何なのかを問いただす必要があるだろう。
それをしなければ、本当に単に合格を勝ち取ってそれで終わり、になってしまう。


たとえば、外国人と何不自由なく話ができるようになり、英語のメディアを視聴して自由自在に情報を収集したり、互いの国に共通する課題について考えたいとなればどうだろう。
これは、英語を習得して自分自身が達成したいゴールが描かれている。
きっと英語が人生を通じて恩恵を与え続け、多くの人を幸せにもするだろう。
あるいは、プログラミング言語を勉強して経済や生活に関するデータを統計し、株式投資への理解を深め、より豊かな生活を実現できるアプリを開発するというのも、人生の財産になり得る。


何かを志し、達成を意識するとき、何かが欠けているような感覚に襲われるのはなぜか。
それは、目指すゴールが誰かから与えられているからかもしれない。
自分のゴールはきっともう一段深いところにあるのであり、もしかしたらそこに答えはないのかもしれない。
いずれにしろ、一度人生を通じて実現したいことに向かうゴールが設置されているのかを確かめることは重要だ。
人から与えられたものであったとしても、問い直すことで自分の人生のゴールになっていらば高いモチベーションのまま、邁進することができるだろう。

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