歴史と経済45〜倫理観〜

経済は利潤追求の原則に基づいて動いている。
しかし、近年その中に倫理が要求されるようになってきた。
企業や組織のお金の使い方に人々が関心を向ける傾向が増大してきている。
これまでは、自分がいかに儲けるかであり、獲得した金銭をどこに投じようがある種無頓着だったのではないか。
よほどの悪事に肩入れしているようなことがなければ、人のお金の使い道よりも自分のことに関心が高かっただろう。


しかし、未来においてはそのお金の使い道にも評価が下されるようになっていくだろう。
たとえば、資金を地球環境に貢献する企業の応援に回していたり、未来の子供達の教育に寄与するようにお金を使ったりである。
そういう活動を世間は本格的に評価する時代に突入していくのではないか。
挑戦する人を応援するというお金の使い道もある。
自分の贅沢に使うくらいなら、社会貢献する人を応援するためにお金を使うことで、自分も社会貢献する。
このような、個人の消費活動にもある種の「公正」が望まれるようになってきた。

これまでは、慈善活動でやってきたことが、今日に至り、もちろん強制されるわけではないが評価の尺度に組み込まれるようになってきている。


これは、もしかしたら本来的には日本人に向いている価値観かもしれない。
日本は元々そこまで個人を押し出す文化があったわけではない。
どちらかというと、個人が評価される基準は「みんな」のために頑張った人である。
たとえば、江戸時代中期の米沢藩藩主の上杉治憲である。
みんなに節約をしてもらうために、まず率先垂範で藩主自らが倹約を行う。
これが農民の疲弊を防ぎ、藩財政の立て直しに繋がった。

明治時代の渋沢栄一もまた然り。
著書の『論語と算盤』ではお金の使い方が道徳的でなければ続かないことを説いている。
つまり、企業経営における「持続可能」である。


あるいは、阪急創設者のした小林一三もそうだろう。
沿線開発と結びつけることで「宝塚歌劇団」を生み出し、全国中等学校優勝野球大会(甲子園)を提唱した。
大球場で高校生が野球を通じて全力でぶつかり合える場所を生み出したルーツがここにある。

倉敷紡績の大原孫三郎も大原美術館創設など文化事業の関わりにおいて名高い。

そして、日本は自然災害も多く、自然を畏れ、尊重してきた国柄がある。
その痕跡は今も日本の各地に豊かな自然が残されていることに象徴される。


日本人の中に息づいてきたこの倫理観は資本主義社会への変貌とともに、忘れ去られたかのように思えた。
しかし、災害時などの共助の精神はやはり、今でもまだ見られる。
地元を愛する若者や田舎への移住を希望する人もいる。
日本は自然と共に歩んできた国である。


これから、持続可能かつ福祉的にみんなが幸福を享受できる社会が目指されるのならば、日本が発信するメッセージと説得力は世界に貢献できるのではないだろうか。

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