日本とのつながり77〜革命〜

18世紀後半に入ると、世界史は大きな変動期を迎える。
人間の理性や科学的思想の産物である啓蒙思想が封建制度への批判へと結びついた。

平たく言えば、国王の支配に民衆が反乱を起こす。
そして、1776年にはアメリカがイギリスから独立を宣言した。
1789年にはフランス人権宣言が制定された。
1793年にはフランス国王ルイ16世が処刑されている。

これらは、君主による圧政に民衆が反抗し、個人の自由と平等を目指した動きだ。

やがてフランスにはナポレオンが登場し、19世紀に入るとこの革命思想をヨーロッパ中に広げていくことになる。
さらに、イギリスでは産業革命が進展してきている。
このように、ヨーロッパでは国家制度、産業ともにパラダイムシフトが起こり始めていた。
アジアでは、中国の清王朝が強大であり、ヨーロッパ諸国に対して強気の外交を行っていた。
アジアで強勢を誇る大帝国であった。
日本では田沼意次と松平定信の時代であり、蘭学など学問の発展が見られた。
飢饉などは見られるものの、平和な時代であった。
しかし、ロシア船が北海道に来航するなど、いよいよヨーロッパ勢力が日本に到達しつつある時期でもあった。
参考文献:日本史用語集(山川出版社)
参考サイト:世界史の窓

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