歴史と経済91〜教師〜

教師は生徒の将来を気がかりにする。
そこにある種死力を尽くして、超人的に努力できる人種だとも言える。
コスパに基づいた労働感覚とは一線を画する部分がある。
コスパがマイナスでも子どもの成長に懸けられないとこなせない仕事であろう。
そして、準備した分だけ報いがある職業でもある。
場合によっては、卒業式を除けば苦労し通しだということも少なくない。
しかし、その教師の苦労を見ながら、生徒は生きる力を獲得していく。
実際に、生徒の人生そのものを変えてしまったり、大きな影響を与えてしまうことが起こりうる。


この先生に出会わなかったら今、これを勉強していないだろうということも起きてくる。
この先生に出会っていなかったならば、今この場所には立てていないということが起こってくる。
良くも悪くも色々あったけど、その色々が思い出に教師の印象以上に生徒の中に残っているということがある。



授業における知識の伝達というものは、教師の授業スキルだけに支えられるものではない。
クラス同士で意見交流をする場合、当然基盤となる人間関係次第によって、知識の伝達効率は違ってくるだろう。
その知識を多面的に考えられる学習環境かどうかは、大きな要素となる。
そして、そのクラスがどんな指導者によって統率されているかで、クラスの人間関係は変わる。
授業準備や学級経営など、教師の陰ながらの苦労を生徒は感じ取る。
そして、教師のその姿勢に感化され、ついていこうという気持ちになる。
そして、「こうあるべき」を尊び、正直者がバカを見ないようにお互いに配慮するようになるだろう。
もちろん、日常において色んな問題も起きてくる。
いじめや学級崩壊のような事態を招くリスクもある。
まるで、実際の社会のように、教室という小さな空間で世界のあり方を学ぶことができ、生徒自らがクラスの構成員としてクラスを創り出していく姿勢が望まれる。
そして、良好な人間関係に支えられて、単なる知識伝達に留まらない、お互いの考え方の違いや個性に気づき、大切にし合えること関係を構築することで学びは楽しくなる。
もちろん、高校生ともなれば学問そのものの楽しさにも目覚めてくる。
自分が学んで楽しいという感覚が芽生えるであろう。
同時に、身近な人々の思考法を知り、協力し合うことで高次の概念に到達できたならば、それは応用可能な深い学びとなるだろう。


知識を獲得できたかどうかだけで、生徒を評価することにも疑問が呈される。
知識をどんな風に活用しているのか、生徒独自の観察眼に気づき、そこを評価できるかどうか。
生徒の視点が単なる生徒の主観なのか、客観的な視点から鋭く変化を捉えているのかを教師が見抜くとき、その生徒は嬉しいと感じるだろうし、周囲の生徒にも刺激となるだろう。


生徒の知識の獲得状況を、教師はもちろん見取って行かねばならない。
同時に、生徒の知識の活用方法も評価すべきであろう。
その活用方法が応用に富めば富むほど、学びは好奇心に溢れたものとなる。
そして、このような生徒は教師の中にも強い印象を残すであろう。


教師が生徒を評価する視点は、生徒の次の行動を決める一手となる。
それが、学びへの意欲を引き出し、協働的な学習集団の形成につながっていく。

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