勉強を楽しくする方法64〜悔しい気持ち〜

悔しい気持ちは取っておきたい。

自分がある程度知っている分野についてはプライドというものが出てくる。
人と話していると、自分はその分野に精通しているにもかかわらず、何も知らない人扱いを受けることがある。

特に年配者が若者に話すと説教臭くなりがちである。
実際に、分かっていない若者もいるし、若者も多少心得があっても我慢することがマナーだったりする。

しかし、最近になってそうした風潮も薄れ、若い人がテレビやインターネットに登場して識者相手に堂々議論を展開するという場面も多く見受けられるようになった。

私はそれはそれで歓迎すべき風潮だと思う。
ただし、議論することで新しい視点を取り入れるという姿勢が根底にあることを前提にして、である。

あるべき姿が若者に見えているのであれば、そこは堂々と主張したらいい。
それを上からの圧力で押さえ込んでしまうのは違うだろう。

かつて、幕末の江戸幕府を倒したのは、やはり20代〜30代の荘子たちだったではないか。

彼らの年齢を考慮すると、国難の時代に要求されるのは経験だけでなく、知識欲や情熱なのだと、気づかされる。

もちろん、年配者の知恵は重要であるが、それは過去の延長から来ていることある。

自分が精通している分野であって、それを精通していないものとして扱われたらそれはそれでプライドに触るかもしれない。

しかし、真実があればそれでいいではないか。
自分がよく知っているならば、それはやがて伝わる。
こいつは賢いと思われるだろう。

初めのうちの誤解はよくあることなのだ。
それよりも大切なこと。

それは相手の視点を見る余裕を持つことだ。
相手の視点を検討し、妥当かどうかを現代情勢を踏まえてよく考えて見ることだ。

それによって自分の視点をさらに広げていくことができる。
そうやって、悔しいことも成長に織り込んで勉強して行こう。

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