見出し画像

粘る力

一度、集中的にやったものの、うまくいかなくてしばらく間を置いてみる。
久々にやってみると、なぜか大きく向上していたということがないだろうか。
人間には、物事を達成するために一定の経験が必要であるということがある。
その経験なくして、努力を重ねても達成は難しいという状況がある。


これは諦めることを肯定するのではない。
むしろ、いかに諦めずに挑み続けるかという話なのだ。
達成したいと願って、未達のものというのはどんな人でも持っているものではないだろうか。
偶然、時代に合わず、勝機を逃したであるとか、周囲との兼ね合いがうまくいかないということは現実に起こりうる。
逆にいえば、そういった条件が合うまで待つことも一つの実力とカウントできる。
それは、本気で達成を望むなら、信念とか執念といった言葉になるのかもしれない。
そこまでしてやりたい、と言えるものがあるならば、何度失敗しても諦める必要などないのではないだろうか。


仮に、10回失敗したら、それでもう諦めろ、ということであろうか。
人生、諦めが肝心などという言葉もある。
潔さがさっぱりしていいということかもしれない。
しかし、成長や向上を断念する必要はないだろう。
10回失敗する人もいれば、100回失敗する人もいる。
10回というのは、誰かの基準でしかない。
確かに、何も結果が出ないところで闇雲に努力を続けることは得策ではないかもしれない。

ただし、達成した時にはそれまでに何度失敗していようが、そんなことは関係なくなるということもいえる。
純粋に10回挑んでも、越えられなかった壁を破ったとあらば、過去の自分を越えたことが証明できる。
中途半端な覚悟では達成できないことは事実だろう。
しかし、挑戦する権利は自分が許す限りにおいて残されている。
この価値を今一度見直したとき、諦める必要があるのかどうかを熟考してみる。
必要な経験がまだ不足しているだけなのか、はたまた環境なのか。
自分が想定していた失敗の要因とはズレたところに答えがあった時ほど、修正した時の成果は見違えるほどになる。
だからこそ、色んな人と出会い、信念を持ち続ける。
気づくというのは、大きな勘違いをしていた時に起こるものだ。
成果が出ないのは、努力するフィールドが悪かったり、努力の勘所が違うというだけで、自分そのものを否定することが得策ではないこともきっとある。

そんな自分を諦めてしまうのではなく、あくまで追い求めることでこそ、扉は開かれるのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?