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別にテレビじゃなくていいんじゃね?

「バイキング」の竹下通りの映像問題について書こうと思ったら
だいぶ時間が経ってしまった。

非常に書きにくい社会的・会社的地位にいるから、とかじゃないけど
もうやめておこう。
とにかくクソだったね、あれは。

と言っても、あの問題を導入にして書かなきゃいけないくらいに
あの捏造に今のテレビの問題というか現状というかやるせなさというか
そんなものが詰まっていたような気がした。
開けたくない、けど薄々戸棚の中で匂っていた腐った缶詰を
たまたま家にきた友人に開けられたようなそんな感じがする。

意味がわからない例えをしてしまった。

テレビはいつからか「意味がわからない」も「わかりにくい」も
すべて排除されるようになってしまった。

すべてが筋道通り、
一本道になっていないと気持ち悪いメディアになってしまった。
誰がそうしたのかはわからない、作り手か視聴者か。
どっちもかもしれない。

筋道を引いて、筋道通りに作る物作りほどおもしろくないものなんてない。
でも、そんなことになってしまってるから
いろんな問題が後々になって生まれてきてるんだと思う。
その描いた筋道を無理矢理にでも作るため
いろんな分かれ道をとてつもない冷血な心で捻じ曲げてしまっているから。
無理矢理作られたその一本道は、
終着地までが気持ち悪いくらい丸見えで気持ち悪いくらい障害物がない。
予想を超える物語をもう誰も書こうとしなくなってしまったのか。
だとしたら悲しい。

テレビは悲しいことに、大衆に寄り添って、媚びて、生きてきたメディアだ。
今、世間に「第7世代」が人気とわかったなら一目散にキャスティングされる。
例え1コーナー、ものの数分しか出演していなくても
PRには絶対「第7世代」が映るし、出演していない時間帯でもずーっと
「第7世代」のテロップが画面右上で踊る。

いつからかテレビは発掘することをやめてしまった。

「ネットで話題!」を「ネットを知らない人」に
紹介するメディアになってしまった。
そりゃそうだ。テレビを見ている世代を考えたら致し方ない。

でも、だからこそ視野だけは広く持たないといけないと思う。
一本道ではなく「分かれ道もあるよ」と少しくらいは見せないといけないと思う。

洗脳できてしまうんだ。怖いことに。
そして、そのテレビを見た人が怒るんだ。
「こんな時期なのに!こんな状況なのに!」って。

多くの芸能人もYouTubeに参入し始めた昨今。
テレビをリアルタイムで見たり、楽しみに録画している人なんて
想像でもあまり浮かばないくらいに「見られていない」感覚がしてしまう。

だから「見てもらおう」という作り方がよりオーバーになる。

でも、ほんとに視聴者はそんなに媚びて、寄り添ってほしかったのだろうか?

ただ日々の不安やストレスを笑いや感動で忘れられる
いわゆる「エンターテイメントの力」を求めていたのではないだろうか?


YouTubeの方が優れているところ、
時代とマッチしているところをたくさん挙げられる。

撮影だって、投稿だって、拡散だって、生配信だって
簡単に素早く気軽に誰でもできる。

一方のテレビは...。

でも
YouTubeにテレビが劣っているところは
テレビがYouTubeより優っているところでもあると思う。

おもしろいことを考えるディレクターや作家がたくさんいて、
それを具現化する魅力的な演者もたくさんいて。
かっこいいカメラワークで作品のクオリティを何十倍もあげるカメラマンも
無茶なオーダーにも迅速に作品の世界観を作り出す美術も
メイクも照明も音声も...。

たくさんの人が関わっている分、その全員の矢印が一つの方向を向いたときの
パワーはとてつもないものになる。

それをたまにとてつもなく感じるんです。
それを感じたいんです。

別にテレビじゃなくていいんじゃね?

別にテレビじゃなくてもいいかもしれないけどね。

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