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テレビと芸人。〜ショーアップされる笑いの功罪〜

テレビ業界3年目に入る春。
はじめて「ザ・バラエティ」な番組の収録に
かかわった。

お笑い芸人が多数集まったスタジオは、
業界2年間異種格闘技に挑戦していた
自分にとって逆に「異様」で「新鮮」だった。

思えば、その2年間も
それを味わうまではそう感じていたはずだ。
政治家たちを前に「CMまで◯分前」と
カンペを出して
まるで国会の議長のように振る舞ったり。
(議長がそんなふうに尺を考えて仕切っているとは思わんが)

はたまた
マラソン大会のロケに出て
ランナーに並走してカメラを持ったり。

いわゆるこの2年間は
入社時に思い描いていた
「テレビ=ザ・バラエティ」とは
一線を画すものばかりに携わっていた。

無論、
「テレビ=ザ・バラエティ」ではないのだが、入社当時のプー太郎にはそんな脳も視野もなく「テレビ=スタジオでスタッフの笑い声がガヤガヤ鳴り響くもの」
だったことは言うまでもない。

だからこそ、高まっていた。
「くだらない、おもしろい」だけを追求する番組こそプー太郎だった自分が心底やりたいことだったから。

眼差しが強烈だった。

セット裏に集まる芸人それぞれの眼差しが
鋭くて、いい意味で怖かった。

優しいんだけど、
瞳の奥がメラメラ燃えていた。

テレビにあまり出ない無名や若手も多い番組だけあって、このワンチャンスを掴んでやろうという熱気がこちらにも嫌というほど伝わってきた。

ひとつひとつがその芸人にとって
戦場であり、命がけであるんだ。

その瞬間、
「自分たちの用意、準備が
いかに大事か」がわかった。

正直めんどくさい
小道具の手配や音楽の許諾、
それが
一人の芸人の命にかかわっている。

どんなネタ番組も
「ただ芸人がネタを見せる」のではなく
「共に作り上げること」が必要であると知った。

それと同時に
「共に作り上げること」の中で
どうすれば相乗効果が生まれて
かけ算でおもしろくなるのか?

それこそがテレビを作るおもしろさ
なのだと思うが
最近のテレビはかけ算になっていないことが
少なくないと思う。

テロップや大袈裟なエフェクトが
芸人のネタを邪魔している瞬間を
いくつも見てきた。

それでも、そうして付与した「わかりやすさ」
で数字が取れればいいのだろうか?

そんなことはないと思いたい。

テレビを作るという側面に
文化を作るというものがあると思う。

その笑い、その感動を
一時の消化で終わらせないための、
見た人を豊かにするような何か。

それは
見えすいた「編集」じゃなくて
隠された「演出」からしか
生まれないのではないか。

志村けんのバカ殿様は
紛れもなく自分たちの文化として残っている。

サッカーの練習が終わると
今日はバカ殿だから。と、
猛ダッシュで帰った、思い出がある。

その時代、時代に、文化として根付くお笑いを
これからも残していく役目は
テレビ以外に担えない。

と思う。

いや、でも正直、自信ない。

文化として根付かなくても
瞬間、瞬間の笑いをつなぎ合わせて
最近のエンターテインメントは
成り立っているから。

忘れてはいけないのは、あの真剣な眼差し。

彼ら芸人が作る笑いはその場で留まるわけはないから。

広がって、広がって。

笑って。

テレビはやっぱり必要なんじゃないか?

そう思いたい。

そう思わせたい。

いや、でも自信ねえや。

4月1日。

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