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続・吉雅から大切な皆様にお知らせ

 人生で二回もこういう題で文章を書く事になるとは、えぇと、ごめんなさいね、時系列的には「なる。……んだろうなぁ」ぐらいには考えていたんですけれど、早速本題に入りますね。


 妻のお腹の中に、私たちの子が居ます。


 はい。
 これを書いている今で15週目。
 そろそろ妻の身体が安定期に入る頃で、対外的に発表するのは安定期に入ってからだろうかね、という事だったので、こういうタイミングに相成りました。

 私が煙草を加熱式電子煙草に変えたり、
 なんか毎週のように妻の家に足繁く通っては家事をしてから出たり、
 なんだか妙に未来を意識するようになったり、
 命を惜しむようになってきてしまったり、
 そういうのは全部、全部、いや、半分くらいですかね。もう半分は妻。

 妻に私たちの子が宿ったからです。


 私は妻に「生き方を変えて貰った」と考えていて、それは間違いないんですけれど、何せ今で15週目ですからね。
 実は結婚したタイミングで既につわりが始まっていて、その日は親戚一同との食事会を開いたので「(皆の前でご飯食べられそう? しんどくなったら言ってね)」「(辛くなるのは夕方頃からだから多分大丈夫だと思う……!)」とか、そういう、そういう話をしながらの入籍でした。

 いや、入籍もですね。最初は
 「吉雅さんと一緒に住む引っ越しのタイミングで入籍すれば諸手続きが一気に済ませられてラクだよ
 「大安とかそういう日取りを選ばなくっても良いの?」
 「六曜なんて毎年変わるから私は気にしないぞ! 安心したまえ~!」
 「じゃあそれで……アッ 六月とかの方が良い?」
 「私は特にこだわりもないねぇ
 「よ、よし、なら引っ越しの日取りが決まったらその日でいこう……!」


 ……みたいなノリで話していたんですが、妊娠が判明したタイミングで
 「こうなると、早めに入籍した方が良さそうだね」
 「GWだし覚えやすいし、祝日だから毎年確実に休みで結婚記念日をお祝いできるから5月5日のこどもの日なんてどうだろう?(天啓)」
 「名案だ! それでいこう!」
 となった。
 なったんである。

 いや経緯を辿れば辿るほど合理的な決め方してるな……。
 まぁいいや。実際すっごい覚えやすいし。
 お役所に婚姻届を持っていったら同じ考えの方も多かったらしく、宿直担当の方が慣れた様子で「はいは~い、婚姻届ですね。おめでとうございます!」と言って下さって、笑っちまったものです。

 因みに2024年5月5日は図らずとも大安吉日だった。
 う~んツイている。



 ノリを戻そう。
 真面目な感じに。


 びっくりです。
 元々、妻とは結婚する事を決めてからも、子をもうけるつもりはなかったりもしたんですね。
 これは本当にお互いにそうで、私が38歳、妻がそのひとつ歳上という事もあり、仮に今から最速で子が出来てもその子が20歳になる頃には私たちは還暦手前になるしなぁ……という事もあり「まぁ、二人で楽しく人生を生きていこうぞガハハ」みたいなノリでやっていくつもりだったんですけれど。

 人生と言うものは分からないものです。
 人生と言うものは、マジで分からないものです。


 ともあれ、そういった前提を踏まえた上で考えた上でも、驚きと、何よりその何倍にも勝る喜びがあります。
 大好きな人と夫婦になれて、しかもその人との間にその人と自分の血を受け継いだ家族が産まれるだなんて、それはもう奇跡みたいな幸せだと思っています。


 世間的に書けばアラフォーでの出産は高齢出産という事になります。
 それでも私は
 「どんな結果になろうとも、必ずあなたの隣に居る」と、
 「(子の事は)楽観視はしないけれど、前向きに受け止める」と、
 そう妻に伝えました。

 いやそもそもがそうなんですけれどもね。
 私は妻の事を愛しているので、仮にどう在ったとしても隣に居るし、その上で新しい家族が加わってくれるのなら、その家族を二人で一緒に育てていこうと前向きに考えているので、……あれ、書きながら当たり前の話だなって今思ったや。


 まぁいいや。だってそうだし。


 NIPT(新型出生前診断)という、染色体疾患を母の血液だけで確認できる(=羊水を採らずともできる)検査も受けました。
 これは出生後に子に顕れる染色体由来の疾患を事前に察知する、この10年程で確立された新しい検査方法で、それでも偽陰性が99.999…%ないとお医者様の仰る検査です。

 結果は陰性。Get chance & Luck!!
 13番、18番、21番という、主だった疾患に繋がる染色体量は通常値だったという事でした。

 これで妻が検査結果を受け取りに行っている日は気が気じゃなく、仕事中もバカみたいに身体はグラグラすると手指は震えたものですが、陰性という報せが届いた時はゆっくりと拳を振り上げたのを覚えています。
 一生忘れずに居たい感覚。
 私の極振りLUKが遺伝してくれているんなら、恐らく恐ろしく悪運の強い……いやいや、それはもう幸せな子になってくれるんじゃないかなと思います。



 妻の身体も、安定期に入りつつあるようです。
 つわりが一番厳しい時期は本当に食事を摂るのも大変で、家に帰り着いては何とか身の回りの事を済ませてぐったりと眠る事が多かったようなのですが、それも先週くらいからようやく落ち着き始めたようで何よりです。
 そうそう、先週は私の実家の味の煮込みハンバーグと、あとめっちゃ脂っこいはずの551の焼売を美味しそうに食べてくれて、今日なんてしばらく飲めなかった炭酸のオロナミンCを飲んでいて、

 ……こういうの書き始めると長くなるから、なってるから、その内、機会があれば別途で書いている手記をしれっとアップします。気が向けば。
 あれは半分以上個人的な手記なので。


 まぁ。
 そんな感じで父親と母親、両親になります。
 或いは既に”なっている”のだとも思います。
 少しずつでも、良い夫、強い父……よりも優しい父が良いですね。そういうものになっていければと思います。

 これから、いやこれからもか。周りの方々にはたくさんお世話になってしまったり、ご迷惑をおかけしてしまう事が増えてしまうかも知れません。
 その際は申し訳ありません。
 当然、その都度謝らせて頂く事になるかとは思うのですが、それでも、それでも、二人の人生が交わって結実する新しい命です。

 どうか、どうかどうか、暖かく見守って頂けば幸いです。
 良ければ笑ってやって下さい。
 子にはなるべく多くの笑顔を見せてやりたいと思うのが親心です。
 





 そこから少しだけ、変な話をします。

 私は2020年の11月頃に人生に限界を感じて、一度自らの命を絶とうとした事がありました。

 その時に感じた震えや、恐怖感や、自分の人生がもう立ち行かない、ドン詰まりに追い込まれたのであろうな、という身勝手な絶望感。
 低い気温、震える頼りない足腰。歪んだ裸眼の視界、酩酊させきった頭の中と遠い光。
 全身が風に殴られる、「これは死ぬんだろうな」という感覚。
 今でも鮮明に思い出す事ができます。

 まぁ、結局今これを書いている私は幽霊ではないんですけれど。

 その一ヶ月後の2020年12月。
 大勢の方に支えて頂いた末に、当時でもう34歳だと言うのに、たくさんの悔し涙だったり嬉し涙だったりを経て、ようやく自分に「生きていて良いんだ」と思った事も強く覚えています。

 元凶は程なくして取り除かれ、その頃しばらくは何かをするたびに、
 「これも生きてるから出来る事なんだよなー
 と、口癖のように漏らしていました。

 またある時、「生きてて良いんスねー、俺」と漏らしたら、
 「当ッッたり前だよ」と、友人が仕方なさそうに、それでも暖かく苦笑いを漏らしてくれたのもよく覚えています。

 改めて、当時の私の命を支えてくれた全ての皆様に感謝いたします。
 誰が居なくとも、私は今ここに居なかったと心から思っています。

 今は
今までの人生も、生きてこの日を迎えるための『経緯』だったんだ
 と考えられるようになりました。

 誰より妻子の二人に、私と出会ってくれた事に感謝します。
 二人は私の生き方そのものを変えてくれました。

 であれば、であれば、私の残る人生を、どれだけこの二人の為に割く事ができるだろうか? を考えた時に、まずは「あ、生きよう」と強く思いました。
 生きてえなあ。生きましょうよ……。って。

 今では
 「妻子と共に笑顔で生きる」事が、私の生きる大きな目的です。


 あの日の死に損ないが、父親になろうとしています。
 妻子と共に笑顔で生きようとしています。



 こんな幸運に恵まれた人生、やっぱり奇跡だよ。ありがとう。

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