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【夢】精肉工場へ歩く

 隣の市にある精肉工場へ徒歩で向かう。所要時間は40分ほど。最近は運動が足りていないし、散歩は好きなので問題ないだろうと思う。
目的は何かの調査だった。大学に提出するちょっとしたレポートを書くために必要なのだ。

 知らない道をまっすぐに歩く。初夏の空は気持ちよく晴れており、町の雰囲気も、心地よく溌剌とした感じだ。

 前を見やると、ごく新しい、前衛的なデザインの、公共施設であろう場所を道が突き抜けていた。道なりに私も施設の中へ入る。白くて天井が高くて、きれいだ。歩道が両脇に通ったエントランスのような場所には、歩道を横断するようにして巨大な半透明の布がかかっていた。エントランスの半ばほどから道が階段になっているので登っていくのだが、上に行けば行くほど布の青が濃くなっており、視覚的に楽しい。てっぺんまで渡り切って、ぐるりと螺旋状になっている階段の構造に沿って降りると、いつの間にか道がプールサイドになっている。これまた白と柔らかい水色で統一されたきれいなプールで、健康的に肥えた子どもたちが清潔な顔をしてコーチの指導を受けていたりするのだが、夢の私は水を恐怖しており、身のすくむような思いをしながら通過する。無垢そうな子どもたちと醜く成長した自分を対比しての負い目も感じる。

 施設を出て、横断歩道の信号待ちをしていると、訪問先の工場に事前に訪問の約束を取り付けていないことに気づく。私はいつもこうなのだ。焦りと失望を感じつつ、これからどうするか必死で考える。訪問先に着く10分前くらいに電話してみて、まず見学の受け入れをしているかどうか聞き、受け入れていたら「今近くにいるのですが、これから向かってもいいですか?」と聞くことにする。自分の不出来が埋め合わされたわけではないが、取り合えず未来にすることが設定できたのでほっとする。先延ばしは私の悪い癖だ。

 工場の近くに古い駅の待ち合わせ室のような場所があり、入る。10数人のグループが間もなく始まるイベントのための人数集めをしており、ちょっとした騒ぎになっている。

 場面が一転して調査を踏まえた口頭発表の時間になったので、夢の私が無事工場へ辿り着けたかどうかは定かではない。ヨーロッパかどこかの絵画や小説に出てきそうなカフェ(自分のイメージ同士のすり合わせになるが、「巨匠とマルガリータ」のどこかの場面に出てくるレストランのイメージを縮小した感じがしっくりる。小説のほう)が会場だった。私以外の発表者もテーブルについて思い思いの方向を向いて座っている。私の発表内容はボロボロだった。発表を聞いた先生は誰も発表者の私よりも質問者の発言のほうに納得顔で頷いている。だが夢の私は自分の不出来に自覚的なので、さもありなんと自分に言い聞かせながらこれも当然の罰と耐える。

 発表の次の日、大学の研究室にいる。今日はオープンキャンパスのようなイベントで、訪問者とちょっとお喋りをすればいいだけなので気楽だ。何より、普段は信用のならない自分の計画に沿って作業を進めなければいけないのに、今日は他人の指示で動いていれば、自分がその場にいる意義が担保されるのだ。そこが最高だった。概ね楽しく過ごす。(起床してすぐ、現実のわたしは心身に余裕がなく、所属組織へのこういった協力をあまりできずにいるので、その焦燥と負い目が夢に出てきたのではないかと考える)

 場面が一転すると民間のカウンセリング施設のようなところにいた。公民館のような場所の一室を間借りしてカウンセリングを行っている。ファミリーレストランのような席で、テーブルに先生(?)と向かい合わせで座る。私は母にそこへ連れてこられたらしく、母が母の言葉で私の症状を話すのを隣で聴いている。夢の私は自分に治療やカウンセリングが必要だとも思えず、私の認識とはズレた母の説明を聞いた先生にこの程度で受診するなんて我慢が足りない、と思われるのも恥ずかしく、かといってうまく母の言葉を訂正する自信もなく、母と自分の噛み合わない思いに居心地の悪さを感じながら屋内を盗み見ている。木を基調とした温かみをわざとらしく押し出した空間だった。室内には他にもいくつかテーブルがあり、各々の席で神妙な、あるいは楽し気な会話が繰り広げられている。先生は濃紺の分厚いジャンパーを着ており、くすんだオレンジ色の毛糸の帽子をかぶっている。カウンセリングが終わると励ましや慰めや先生の見立ての詳細を書いた手紙のようなものを貰えるらしく、母はそれを貰うのを目的に来ているようだった。

 自分が舵をとるべき心や人生の領域を、少しずつ切り分けて他人に譲渡しているような気分になり、待機時間にひとりで部屋を出る。かび臭くて暗い、幅の広い廊下にはいま自分が閉めたのと同じデザインの引き戸が数個並んでおり、どこも中は賑やかだ。ひとつの扉の向こうでは幼馴染がなにか大声で話している。ひとつの扉の向こうではどうやら老人が折紙をしている。

 隣接している小さなデパートへ入り、お世話になっている人への誕生日プレゼントを探す。陶器製のティーポットに決める。いつもお世話になっている人なので、誕生日当日までにどうにかプレゼントを用意することができたとほっとする。だが次にいつ会えるか、死ぬまでに直接会えるかわからないような相手なので、しばらく渡す機会がなかったら諦めて自分用にするかもしれないと思う。貧相な自分の生活が、このような偶然でパッチワークのように豊かになっていくのは滑稽だなと思う。

2024年3月23日の夢

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