お迎えが欲しい
初めて酒を飲んだ。常日頃、絵を描こうとしたり包丁を持ったりすると手が震えることがあり、困っているのだが、酒を飲んだところぴたりと震えが止まったので驚いた。飲酒経験も無い癖にいつの間にかアルコール中毒の症状でも備えていたのだろうか?調べてみると本態性振戦という種の手の震えにはアルコールで治る特徴があるようだがよくわからない。素人診断は危ない、何度もそうやって自分に症状を与えようとこじつけを行って痛い目を見てきた。私は強迫性障害でもADHDでもなくただの怠惰で打たれ弱い健常者なのだ。アルコールが抜けるとふたたび手が震え、電子レンジのボタンを何度も押し間違えた。一人暮らしなので笑ってくれる人もいない。こうやって寂しく死んでいくんだなあと思うと無性に自分が憐れになった。
近隣というほど近くではないが、自宅から遠からない場所に幼稚園がある。夕方に通りすがったところ、送迎の乗用車が駐車場を何台も出入りしていた。信号が点滅するあいだ、その光景をぼんやりと眺めていたら、また無性に悲しくなった。あまりにも頻繁に悲しくなるので、悲しい気持ちになるたびに、私の悲しいから徐々に価値が剥がれ落ちていっているように思える。
お迎えが欲しいと折にふれて思う。
「お迎えが欲しい」という表現が私の願望に限りなく近しい形を取っているためにこのフレーズを繰り返し使っているが、その意味を詳細に問われると言葉に詰まってしまう。生きていたくなくなって、来迎のようなものを期待して「お迎えが欲しい」と口に出すこともあれば、単純に寂しくなって、偶像や恋人や友人に部屋のドアを叩いて欲しくて「お迎えが欲しい」と指を動かすこともある。
しかし、寺山修司がどこかで書いていたとおり、家出するためにはまず家に住まなければならないし、お迎えが欲しいのならどこかへ出て行かなければならない。自室から外へ出ることにさえ多大な負荷を感じる私にはいささかハードルが高い。
どんな時にお迎えが欲しいと思うかといえば、自室にいる時に思うことが一番多いのだが。
これは要するに、現状からの一時的な逃避を希望しているに過ぎない。
お迎えが欲しい。車でも徒歩でもなんでもいいからお迎えに来てここから誰か連れ出してくれ。他力本願な欲求だ。でもできれば車がいい。後部座席で車道を揺られて気持ちよくまどろみに至りたい。
思い返せば昔から、乗り物に揺られたり、それこそ車で迎えに来られたりするのが好きだった。車窓から景色を眺めるのが好きだった。車内でかかっている音楽を聴くのが好きだった。自分はぼうっとしているだけなのに移動という義務が達成される気楽さに安心していた。
高校に行くのが難しくなった時、母の迎えを心待ちにしていた。蜘蛛の糸だった。一時間と教室にいることができず、級友が保健室に届けてくれた荷物を抱え、つい先ほど降りたばかりの車に転がり込んだ。荷物の中にあるまだ温かい弁当のことを考えると申し訳なさで頭がいっぱいになった。迎えを待つ間はあまりの不安に叫び出しそうになり、苛出ってさえいた。車に乗り込むことができてほっとしている自分に気づくと罪悪感が取って代わった。
母は午後から勤めに出ることになっていた。私を一人で家に置いておくと危ない状態の時には、早退した私を祖母の家に預けた。高校生にもなって留守番さえできなくなってしまった自分が惨めだった。祖母の家でも母の迎えを待ち望んでいた。あまりに私が不安がるので祖母は映画やラジオで私の気を紛らわせなければならなかった。車で職場から祖母の家に向かう間に母が事故で死んでしまうのではないか、そうして迎えが来ないのではないかと怖かった。祖母の背丈をとっくに越した自分が祖母に泣きつく様はいま想像するとグロテスクでさえある。当時の私はそれほどに惨めで情けなかった。周囲のやさしさにひたすら寄生していた。
どうして昔の醜態をあげつらい、自分を貶めるような文章を書いたのかわからない。いま私が抱いている「お迎えが欲しい」という気持ちは高校の頃抱いていた気持ちと似通う部分はあれど本質的に別物だ。ただの連想ゲームに過ぎない。しかしとかく私は今も昔も、現状から逃避するために、悲しんでいる私を見つけ出してここから連れ出してほしいがために誰かしらの迎えを希求しているのである。
いちど座り込んでしまったこの地面から自力で立ち上がることもできないくせに、傲慢なことだ。
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