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Yoshilog Live 46 「Salzburg Dialogue - 2050年の世界」 - 参加者の感想など。

これは2023年1月29日に実施したYoshilog Live 46「Salzburg Dialogue - 2050年の世界」の参加者の感想などをまとめたものです。

参加者数:38人(アンケートの回収に従い、随時追記していきます。)

* 評価 *

* 感想その他 *

いつも同じような感想を書いている気がしますが、、 世界のおっきなテーマについて議論したエピソードを話しているのに、自分の身近なトピックスにたくさん重なり驚きます。 ぜんぶ地続きなんだなあ、自分の毎日を丁寧に生きようと思いました。

ひとつの技術に関するトピックスを通して社会をどうしたいか考えるというAIの専門家の方のエピソードでも同じように感じました。

いまの日常を漫然と過ごしていると、自分の生活と社会とを関連付ける瞬間は存在しないです。(他愛のない会話にはそういった話題をぶっこむと次から誘われなくなりますし。)

ここに、インフルエンサーに追従する人々の話も絡んでくると思います。 自分の小さな日常と世の中の大きな出来事が繋がって見えないと、自分の小さな日常がしょうもなく思えて大事にできなくなる。だから、インフルエンサーって架空の自分というか、戦隊ヒーローごっこみたいになりきって大きなことしてる気になることで自分の不安を鎮めてるんだと思います。

キーベースの#music部屋である方が、1ヶ月こつこつ練習してみたら、まあそんなもんかと冷静になれるし、出来ない!と嫌にもならない、1ヶ月したらちょっと良くなってるだろうなと思える、と投稿していました。 正しく現在地を知ることって、心の平穏につながりますよね。

世の中がギスギスしてるのは、みんな自分の現在地を見失って、日々を大切にできていないからですよね。

大切にしようと思うと、やらないことを決めないと…。ほんっとうに無駄なことで溢れていますから。 無駄な手続き、無駄な言い回し…自己紹介が要らない話は500回くらい頷きました。

そんなことあるの、と思われるかもしれませんが、、、最近まで転職活動をしていてその中で、面接官から自己紹介しろと言われたので、私が自己紹介と志望理由を伝えたところ、面接官が「ありがとうございます、では次に志望理由をお聞かせください」と🤣 そうやって、形式だけこねくり回して本当に無駄な時間を積み上げているんですね…私たちのいる社会は。

tuna_tetsu

普段聞くことのない、貴重なお話を聞けて大変勉強になりました。日本の閉塞感や、戦争、疫病、気候変動などのせいで、暗い未来を想像しがちでしたが、私などには想像もつかないイノベーションが進行中と聞くと、未来が明るく感じ、2050年(それまで生きていたらですが)を迎えるのが楽しみです。

りりあ

感想:社会の分断が起きない為に出来ることを一から見つめ直す良いきっかけになった。 フェイクニュースは、今も世の中に溢れており、個人の努力では解決しようがない。いわばウイルスのようなもので、その抗原に対する抗体反応は、国民一人一人の意識から芽生える。出来るだけ多くの人と関わる機会を作ることが重要だ。性別や年齢、人種に捉われず、自分との価値観の違いを受け入れ、理解し合えるようになりたい。
要望:トピックをまとめて時間の短縮を図るか、いくつかの動画に分けて公開できるようにしてほしい。
質問:Yoshilog ライブ Vol.7 - 『ミラノの飲み方・デザイン・モーダ』 を見ることはできますか?

A for Anonymous

たいへん勉強になりました。 どの情報を聞いてもことごとく、日本の現状の遅れぶりをそれこそダメ押しされるようで辛かったです。 また何故デタラメな主張を繰り返す人々が絶えないのか、その理由が分かりました。

面白かったです。嚙み砕いてお話しくださり、とても分かりやすかったです。ありがとうございました。

Salzburg Dialogueは継続的な試みなのですね。議論のトピックや内容とともに、その枠組みのアレンジにも興味がありました。こういう機会や試み、例えば国連では「またかよ」ってぐらい聞く話、というお話しでしたが、単発イベントとしての○○シンポジウム等と異なり、日本人が継続的な何かに関与する機会(参加者は毎回変わるとしても)はとても乏しいのではないでしょうか。日本でやっても日本人同士か、海外の人々は日本人参加者と違って「招待」という立場とか講演だけとか、オブザーバー的な立場にとどまって、真に多国籍とかDiversifiedとかいった環境にはなりにくいように思います。また、Retreatってすごく良いし必要な機会だと思いますが、日本人ばかりだとつい「まあ温泉に浸かって一杯飲んでゆっくりしようや」という発想になりがちで、議論することは「仕事」に分類されてしまい、名刺交換や肩書を並べたCVの披露が始まってしまう展開だと思います。これも、それぞれ独立した、相互に対等な人間同士がディスカッションを通じて着想を得たり理解を深めたり原理を見出したりする、ということ自体に価値を置く原則を、日本人は一般に持たないからではないかと考えます。昔の学生の寮生活とか合宿にはあったかな。

あとお金関係。配偶者の帯同を認めないとか航空券の紙の半券を提出しろとかあると思う。それに資金源として、日本にあるはずの膨大なお金は誰がどこに使ったり貯め込んだりしてるのだろう。こういうことに使うのも真の豊かさの一環だと思うのですが。

未来について考えるのは楽しいと思うのは、20世紀も終わりに近い子供時代、21世紀とか2001年がどうなっているか考えよう、というような機会が多かったからだと思います。あと22世紀だけど「ドラえもん」とか。そのような中で語られる未来は科学技術(どちらかというとメカ的な)の発展によって便利な世の中になる、という発想でしたが、未来に夢があった時代だと思います。実態は、情報通信技術の高度な発展と、想定していなかった多くの課題が、人間が作り上げてきた社会のあり方を大きく変えたり、人間の文明そのものにチャレンジする、という構図であって、未来は必ずしも夢の世界ではない、ということも、自分が大人になるにつれて分かってきたことのひとつだと思います。そのような現実的な未来について、自分でも何かしらの考察ができるようになりたい、と改めて思います。

議論に挙がった5つのトピックがいずれも互いに関係するところである、ということは、とても腑に落ちるところです。各論より総論で、いろんな前提や条件を当然のものとして共有したり担保したりできる相手ばかりと話をするのは楽しいと思います。私もそばで聴いていたかったです。またこういう機会に呼ばれることがあれば、是非ご参加くださればと思います。改めましてありがとうございました。

参加されたイベントのお話を詳しくお話しいいただきましてありがとうございました。

またこういうのがあったら是非聞きたいです。

お話を伺って、息が出来た気がしました。
じぶんの日常に蔓延する閉塞感になんとか対処する日々を送っていることを改めて知覚したことと、
世界にはよりよい未来のために英知を尽くされている方たちがいること、それを具体的に、より身近に感じることができたお話に、希望を持てました。
新しい技術や知識をどのように利用していくか、が、とても大事と感じました。

日本では1990年から2020年の30年間で社会のありようがあまり変わらなかったけれど、その間に世界では日本が1960年から1990年の30年間で経験したぐらい大きく変化していたことがよく理解できました。

・録画動画をすぐに公開してもらえて助かりました。仕事や移動の合間で見ることができてとても嬉しいです。

・Salzburg conferenceは小国の一都市の視点と経験が生かされた会議だと思った。小国で力がないからこそ、対外的な視野を持ち、トピックやテーマを設定し、多方面・世界から多くの優秀でイノベーティブな素養を持っている人を集めて、ディスカッションさせるという視野を持てているのかもしれない。スイスもそうだが、小国であるが故の危機意識は、とても勉強になる。

・色々なイノベーティブな人たちが集まり、そこで話が深まったり展開しているが、将来的に実際に事業に結びついたときに「Salzburgで話をしたときに」と、重要なところにSalzburgがひょこっと顔を出して、あの場が、一つのプラットフォームとしての影響力を持つような気がした。

・Conferenceの開催形態や、会議での人の動き、人同士のコミュニケーションの仕方が取り上げられていたが、とても勉強になって面白かった。日本でも一応、泊まりがけで実務者同士の会議があるが、結局、醤油ベースで、談合というか、同じ人たちの間でボールを蹴って、回しているだけで面白くない。新しい発想が生まれないし、実行にも結びつかない。 ああいう、さらっとしているけれども、ちゃんと専門家で話ができる場はとても貴重な気がする。

・投資家と話をした時の人材登用の話について。日本型の運営の良い面もあるかとは思うが、新しい動きや、生き生きした議論は生まれにくいことを改めて感じた。結局、一部の役員クラスの人たちが、自分達の保身のための経営しか考えていないことが多く、「何が」「誰のために」仕事や社会活動をするのかわかっていない。日本は、能力主義よりも、年功序列だったり、和を乱さない、温和力のある人、害のない人がトップに上り詰めていくことが多い。本当のプロフェッショナルがいない。

・戦後日本の方が、まだ、経験の有無に関係なく、食うために開発をしてきたから、意見が言いやすい(言わないとやってられない)空気があったのかもしれないと思った。日本の今の閉塞感は、息が詰まりそうだが、日本にいる多くの人が閉塞感に気づいていない。

・全体を聞いて、物事を断片的に見るのではなく、いくつかの「柱」、「テーマ」に基づいて見て、それらが相互にどのように関わり合っているのかを知ることの重要性を知った。対外的なことは、自分達の対内的なことと不可分であり、常に世界的な潮流と、それが対内的・国内的なものとどのように連動しているのかを知らなければならないように感じた。

TN


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