自分にとって最も重要な資産は、時間ではなく出会いだった

普段、娘の寝かしを担当しているのだけど、娘が寝付くまでの30分ほどの間で物思いに耽ることがある。


今日は「自分にとって重要な資産とは」というテーマを考えていて、これまでの私は「最も重要なのは時間だ」と結論付けていた。


まず、人類皆平等に時間は有限であり、消費され、増やすこともできないという前提がある。その上で、時間の使い方次第で人生は大きく変わり、変わることで人生の満足度にも差が出てくるだろう。(もちろん、主観的な話なので、捉え方次第というのはある)


私の人生の理想像は、"死ぬ3分前に「いい人生だった」と言うこと" だ。一変の悔い無し、までは望まなくとも、少なくとも満足して笑顔で死にたいと考えている。そのために、時間の使い方は重要だし、なるべく理想のために割いているつもりだ。無駄も多いけど。

周りの人の時間についても同様に考えている。強制するつもりは毛頭ないが、少なくとも家族は自身の時間を大切にしてほしいし、「お金を払うことで時間が買えるならできるだけ買おう」という家庭ルールを作っている。


そのように考えていたのだけど、改めて考え直してみて変わった。


これまでの私の人生やこれからの人生にとって、最も重要で影響が大きかったのは「良い出会い」だったのではないか。時間は、その次ではないか。

理由を一言でまとめるなら、「一人でどれだけ時間をかけても到達し得ないところに、良い出会いは連れて行ってくれるから」だ。


この1年と半年、私の人生は大きく変わった。それまで生まれ育った地元で、家業を継いで、たまに贅沢するような生活を続けて果てて行くんだろうなと疑いもしなかった。それが、家業というぬるま湯 (崩れ行く舟でもあったが) と縛りから離れ、あれよあれよとエンジニアになり、憧れだったツクリテ側になった。

人生は間違いなく好転しているし、今の生活は予想の数倍と言わず、遥か上を行くほどに充実していて楽しい。「仕事は大変」「生きることは辛いこと」などを例にして始まるような、人生のネガティブな固定概念を全て破壊された。


これが「良い出会い」の積み重ねだなと気付いた。もし私が石油王とマブダチになる出会いがあったら、今頃は地中海でヨットを浮かべながら豪遊した末にコロナにかかっていただろうし、もし両親との出会いではなく日本ではなかったら今よりも相対的に貧しい生活をしていたかもしれない。

長いし小っ恥ずかしい話になってきたのでそろそろ終わりにするけど、なんにしろ「良い出会い」がなければ、どれほど時間をかけても今の状態に到達できなかった。


なので、今後も良い出会いを探しに行くし、また自分自身が良い出会いの対象となれるように精進しようと思った次第。

今日はここまで。

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