命を感じているようだ
夏。娘の幼稚園では蝉やトンボなどの昆虫をよく捕まえて観察しているようだ。その影響もあり、昆虫の脱皮の様子などを映した動画を YouTube で娘と鑑賞している。妻が、だが。
その動画の中には、脱皮不全症?と呼ばれる脱皮中に力尽きる様子や寿命で力尽きる様子なども描かれているらしく、それを見た娘はティッシュ箱が空になるほど泣いていた。
4歳にしては深刻かもしれない内容だが、そのような命について感覚的に理解できる機会は遅いも早いもないと親としては考えるし、なるべく触れる機会を作りたいとも思う。過ぎるのは避けたいが、得づらい機会である。
己の場合に立ち返ると、命について感覚的に理解しだしたのはいつからだっただろうか。小さいころにはペットがいたし、そのペットとの離別を小学校の頃から複数回経験したことがある。
また、前職の介護施設を経営する立場だった都合から、多くの別れの場に同席したし、危険性を昼夜問わず警戒し、大小問わず有事の際には駆けつけ、目の前で逝去された経験もある。
父との別れも大きそうだ。
このように振り返ると、もちろんバイアスはあるのだろうが、やはり命を感じる、意識する機会によって多くのことを学べたと感じる。それこそ、私の価値観には相当影響してるだろう
親の性、もしくはエゴとして同じことを…とは思わないが、その年齢によって勝手に選別することなく、さまざまな経験の機会は用意してあげたいものだ。機会のあとは本人次第だが
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