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【散文】離脱について考える

 中世ドイツの神秘思想家であったエックハルトは、仏教などでいう無我に近い考え方を持ったキリスト者でした。「自分自身を捨て去った状態」のことを エックハルトは「離脱」と呼んでいました。

 エックハルトは、『自分自身と一切のものにとらわれないようになること』を説いていました。そのとらわれのない状態が「離脱」です。

 エックハルトは『純粋な離脱はあらゆる徳を凌ぐ』ということを述べています。
それが『愛や慈悲や謙虚よりも貴い』とみなしているのは注目すべきところです。愛を何にもまして大切だと説くキリスト者は多いと思いますが、彼は離脱の方に重きを置いているのです。

最高の徳は離脱である。それは愛や慈悲や謙虚よりも貴い。愛が私に神を愛させるのに対し、離脱は神に私を愛させるからである。愛は神のためにあらゆるものを忍従する。離脱はあらゆる物から脱却し、神をみずからの内に迎え入れて神を神たらしめる。

エックハルト説教集より 論述『離脱について』


 他のすべての徳は被造物に対して何らかの意図を持っているのに対して、離脱はあらゆる被造物にとらわれていない、というのですね。「とらわれがない」というのは存在論的な意味合いで、自己否定を内包しています。ここでいう「自己否定」というのは自我という意味での我性です。離脱は我性にとらわれないようになること、 ということになるでしょう。

 また、エックハルトは「沈黙の静けさがすべてのものを包まなければならない」としています。沈黙の静けさと離脱というのは切り離すことができないものと考えていたようです。離脱の状態で自分の内側に神性が流出するとき、すべての外的なものは沈黙し意識から消失しているでしょう。

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