東大を出たけれど08「計算」
正直、計算はあまり得意ではない。学生の頃は理系だったし数学も嫌いではなかったが、暗算というものがどうも苦手で、子供の頃から可愛げもなく筆箱に電卓を忍ばせていたものだ。
現在の麻雀に於いて、計算はそれほど重要な能力ではない。相手との点差は卓に表示されるし、和了り点のパターンも決まっているので、一通り覚えてしまえばよい。「1300・2600をツモ和了ると、子方と何点、親とは何点差がつくか」など、ちょっと打ち慣れている人間なら皆暗記している筈だ。
それでも昔は麻雀の中にも個々の計算能力の差を感じることが多かった。学生の頃、一緒にメンバーをやっていた瀬川という同門の男がいた。彼は、落第生だった私と違い、頭の回転が速く、勉強も麻雀も出来る人間だった。当時まだその店の卓には点棒表示機能などなく、本走の続いた明け方など、相手の持ち点を把握するのに随分苦労したものである。
2着だったラス親がツモ和了り、トップ目の私を見ながら点棒を数えている。
「捲ったかな?」
私などはオーラス開始時の点棒申告さえまるで覚えていなかったのに、同卓の瀬川が間髪入れず答える。
「まだ200点足りませんよ」
彼はもっかラス目である。明け方の全員疲弊した状態で、点棒表示機能もない卓で、ラスの人間が上位二人の点差を正確に記憶している。簡単に思えるかもしれないが、なかなかそんなメンバーはいないものだ。
次局に彼が私に七対子ドラドラを放銃してそのときはラスト。6400は6700。すっと無言で彼が差し出したのは、万点棒1本と、千点棒と百点棒がそれぞれ2本ずつ。
12200点の点棒を見つめている私に、やや苛立ちながら瀬川が言う。
「5500バックだよ」
なんとなく気恥ずかしかった。
頭も使っていないのに、ツキでトップになったんだよ、と思われているようで、麻雀の結果はともかく、能力的な敗北感があった。
誤解のないように言っておくが、彼自身は全く嫌味の欠片もない人間である。それでも普段から感じている能力の差に、瑣末な劣等感を私の方が拭うことができなかったのだ。
無論、点棒の払い方に麻雀の内容は関係ない。それでも同じメンバーなら、スムーズな点棒の授受が出来るに越したことはないだろう。
「計算速いな、瀬川は」
同卓の客が舌を巻く。
「点棒払い慣れているだけですよ」
私の思いをよそに、さらりと彼は流した。
共に学校に通い、同じ雀荘で麻雀を打ち続けた彼も、卒業と同時に大手の会社に就職し、有能なサラリーマンとしてまっとうな人生を送っている。
卓に点棒表示機能の普及した現在、能力的なアドバンテージを若干失ったであろう彼が、今でも麻雀を打っているかどうかは知らない。
好きな麻雀から離れられず、場末の雀荘にしがみついてメンバー稼業をしている私を、「人生の計算が出来てないね」と一笑に付しているのだろうか。それとも――、少しは羨ましく思うだろうか。
先日タクシーに乗った折、ワンメーターの660円を支払おうとして、1210円出してみた。怪訝な顔をする運転手。
「550円お釣りなんですけど」
「ん?ああ、変な払い方するねえ」
無理な背伸びを自嘲して、彼のことをちょっと思い出したのである。
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