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東大を出たけれど03「侵食者たち」

 ある常連の客がいた。小太りで30代半ば、いつも雀荘にいて、仕事は何をしているか分からない。会社をやっている、とは言っていたが、所詮雀荘にいる人間の言うことはあまり信用できるものではない。
 ただ、彼とは普段からなんとなく馬が合い、他の店でたまに一緒に麻雀を打ったり、食事に付き合ったりしていた。
 仲は良かった、と思う。

「ちょっと回してよ」
 清算の段で、下家の彼が耳打ちしてきた。持ち金が尽きたのだが店にもアウトがあるので、個人的に私に借りようというのだ。メンバーとしては断るべきなのだろうが、普段の付き合いがあるので無下にできない。いいですよ、といくらか卓下で渡した。
 席を立つかな、と思ったが、当然のように次のゲーム代を卓上に置く。困ったのは私である。さらに負けたらどうするつもりなのだろう。

 そんな心配をよそに、彼がダントツでオーラスを迎える。彼以外は団子の和了り2着で、私は8巡目に子方でこの形。
2356赤五五六①②③③④赤⑤ ドラ①

 ここにツモ※④ときた。場には※1が2枚飛んでいる。少し迷ったが、赤赤あるので※4のチーテンが取れるよう、ドラを手放す。3900の2枚で充分。自分が祝儀つきで局を流し、彼がトップならまあいいだろう。
 ※1が場に枯れ、ドラ切りで正解だったなと思っていると、ツモ※⑤、※2と来た。
2256赤五五六③③④④赤⑤⑤ 

 勿体無いが、これでも仕掛けて和了ってしまおうと考えていた。彼とは2万点以上の差があり、だいたい貸している相手を無理に捲る気も起きようがない。
 ところが終盤に望外の赤※5を引いてしまう。
22赤556赤五五六③③④④赤⑤⑤ 

 本当は聴牌取らずの方が和了りやすいのだろうが、巡目も深かったのでとりあえず※6を切って※六単騎に受けた。彼の河には萬子が安い。
 果たして彼が無造作に※六をツモ切り、微妙な思いで手牌を倒した。跳直ストライクで捲り。
 憮然として彼が席を立つ。その表情は、「金が無いのを知っていて、なんで俺から当たるんだ」とでも言いたげだった。

 その後、なんとなく彼と疎遠になり、借金のことなども忘れかけていた頃、彼が頻繁に争い事を起こしているという噂を耳にした。
 雀荘での諍いは、客づてに広まるのも早い。彼は気性の荒い人間ではなかったが、最近喧嘩っ早く、様子がおかしいという話だった。
 彼が姿を見せなくなって数ヵ月後、他の客から信じられない話を聞いた。今、服役中だと。罪状は強盗と婦女暴行。薬物も常用していたらしい。

 雀荘には色々な客がいる。世間人並みでない生活者も多いだろう。我々従業員の立場からすれば、彼らは職場、つまり自分の生活領域に突然現れ、ある程度まで侵食し、いつの間にか消えていく存在だ。彼らの全てを知る必要はないし、向こうもそれを望んでいるわけではない。だからこそ、度を過ぎた関わり合いは避けた方がいい。

 あれだけ毎日牌を握っていたのだから、何年か後に刑期を終えれば、彼はまたどこかの雀荘に赴くのだろう。そのとき同卓するのは、自分かもしれないし、あなたかもしれない。 

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