「辛かったら逃げろ」じゃなくて、「こっちに居場所作ったからこっちで生きよう」を実際にやってみた人間としての感想(前置き)
まずは前置き部分。先の記事では
・「辛かったら逃げろ」といわれても途方に暮れてしまう人たち
・その結果としてオンラインサロンというかなりヤバイ方向に吸収されちゃう人たち
という現象がとても興味深いなと思いました。
シロクマ先生の「何者かになりたい」記事と「手取足取りサポートしてもらって現状から逃げたい」記事はセットで読むといいと思う
これどっちもあると思うんだよね……
何割が「何者かになりたい」で、何割が「手取足取りサポートしてもらって現状から逃げたい」かはわからない。
正確なデータなど持たないからわからないけれど、今の感覚はどちらかというと「現状から逃げたい」側が多数じゃないかと私は思う。「何者かになりたい」という欲求を持てるのは、そもそもそれなりに余裕がある人間の話じゃないかな……。
どちらにせよ、若者の行動はその上のアラサーやアラフォーの責任が大きいと思うので、自分と切り離して笑ってる場合ではない
「何者かになりたい」じゃなくて「何者かにならないといけない」と危機感を感じてる人が多いのは、とにかく「共同体の一員になるコストが高すぎるから」「共同体の一員になれなければ社会的に徹底的に疎外される、というお話は数年前にまとめました。
①<b>大人たちも、彼を始めとした若者をそこに至らせたリソース不足やライフイベント事態の変容に全く目を向けない。全員が共犯者だ</b>
②現実の自分を疎外し、「理想の自己」を演じることで「社会に適応できない・適応するのがしんどい」状況を乗り越えようという欺瞞
この文脈からすると、シロクマ先生の記事は「マッチポンプ」っていうことになるかと思います。
シロクマ先生に限らず、おっさんが若者について語るときは、自分たちが若者たちをそのたちばに追い込んでおいて「これだから最近の若者は」と言っているような滑稽さをはらむことについて自覚を持つ必要がありそうです。
若者を「新人類」「未開人類」みたいにしておっさん世代と切り離して語るような分析手法はSNS全盛時代にはかなり厳しい気がします。
統計的データはないのだけれど、こういう「逃げたいが逃げ方すらわからない人」を相手にしてきた経験から思ったことがあるのでそれについて語ってみたいなと思います
繰り返しになりますが、個人的経験からは「何者かになりたい」人たちというイメージはあまりしっくりきていなくて、若者から30代の人たちは「いろんなライフイベントにおいて嘘をついてでも何者かになることを強いられてる」というイメージだし、さらにいえば「そういうのがしんどすぎて逃げたいが逃げ方すらわからない」というイメージを想像することも可能なんじゃないかと思います。
なので、次から2件ほどそういう人を実際に世話してきて思ったことがあるので、あくまで「個人的体験」レベルの感覚を語ってみたいなと思います。
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