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「推しの子」5巻~6巻 原作再現を巡るバトルを読みながらセクシー田中さん問題について考えてみる

あらためて思うけれど、マンガ原作のドラマ化ってプロデューサーが有能じゃなかったら基本的に詰んでしまうめちゃくちゃ脆弱な構造だよね・・・。

むしろいままで痛ましい事故が起きなかったのが驚きなレベル。

多分、原作者や出版社が我慢してきたから問題が表になってこなかっただけで、最近のようにむしろIPが強くなってきたため、別にテレビ局にドラマ化してもらわなくても全然構わなくなった現状でこの仕組みを維持していたのは時代錯誤も甚だしいのではないか。

テレビ局がこの体制のまま続けるのはもともと限界だったと思う。それでも貴重な作家さんが命を絶たれるまで方針転換できなかったというのはそれこそが大問題なのではないか。。。

原作者と脚本の権力の差は絶対。

長い間脚本をやってきた人ならそのことはわかっていたはず。にも関わらず、なぜ相沢友子さんはあんなインスタを投稿してしまったのか。

そして、この件、ちゃんと作者は許可は出している。

「セクシー田中さん」7巻

ちなみに、この原作者がドラマの脚本を描くというのがどれほど問題のある行為であるかは、まぁ推しの子5巻を見ればわかるが…… さすがに放送して9話と10話が不評だったからと言って、脚本家が文句を書いちゃだめでしょう、、、ちゃんとクレジットも原作者と書かれているのだから、それで文句があるなら、SNSじゃなくてプロデューサーに文句を言うべきだった。SNSの使い方が致命的に下手くそだった……。

ただ、私は相沢さんの投稿が個人攻撃を目的としていたとは見ておらず、相沢さんをバッシングしてる人はさすがに「推しの子」の5巻くらい読んだ上で、その知識をベースに語るべきだと思う。というかこれだけ読んでも推測しかできないんだから、基本的にはなにも語るべきではないと思っていますし、読んだ人ほどそういう判断ができるでしょう。


これ本当に読んでる人と読んでない人で問題の解像度に違いがありすぎる。読んでる人でそこまで正義熱に浮かされてる人いないと思う




確かに「原作と違う」というのは制約上どうしても発生する


脚本家の言い分


脚本家は脚本家でプロデューサーの支持の範囲内で最大限原作者の意思を汲んで良い作品を作ろうとはしている


とはいえ原作者が許容できるレベルには限界があるよね!



なぜこのようなすれ違いが生じるのか



そもそも、脚本家の人が自分の役割を正しく認識できていたのであれば、なぜインスタにあんなことを書いてしまったのか?

恐らくなんだけれど、セクシー田中さんを担当した脚本家さんは、推しの子の脚本家ほど達観はしていなかったと思う。

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