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「論破=勝利」とか思ってる人は幼稚だという話+論破はあまりにもコスパが悪いと感じるようになった話

経験が少ないうちって、つい「論理で相手を言い負かしてやろう」と思いがちなんですけど、それでは人は動いてくれないんですよね。論破するよりも相手に花を持たせてあげて、みんなが勝者になれるようなロードマップを上手に引ける人こそが成功する。

「自転車置き場の議論」っていう有名な話があります。みなさんも経験があるかもしれませんが、大事だけど当事者性を持ちづらいようなテーマを話し合う時って、参加者からなかなか意見が出てこないんですよね。みんな責任を持ちたくないし、分からないから黙っている。でも、「自転車置き場を設置すべきか」といった身近なテーマにすると、「屋根の色や素材をどうするか」みたいなどうでもいい意見が出てきたり、屋根がいるかいらないかに二分したりして紛糾してしまう。結果、めちゃくちゃコスパの悪い議論になってしまうんです。そういったことを避けるには、テーマにかかわらず、もう最初から意見なんて聞かずに、決定事項として報告してしまったほうが早いだろうと。

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ディベートって、自分の主義主張をぶつけるよりも、相手の立場に立つことがポイントじゃないですか。  そもそも、そのルールを理解していない対戦相手がほとんど。なので、いまだに自分が本当にディベートが得意なのかわかっていないです。ディベートの心得がある人と、対戦したことがないので。

ある程度大人だったら、論破なんてしないほうがいいとわかるじゃないですか。幼稚なんですよ、論破って。SNS上で顔が見えない相手に対して、「はい、論破」みたいに吐き捨てるのも。あんなの大人が顔合わせてやったら、マジでめちゃくちゃ馬鹿にされることですから。  実際ひろゆきさんも「論破しましたよ」なんて言いません。

日本人はどっちかというと、我を通すよりも、相手が何を言おうとしているのかを先読みして、慮って気を遣うじゃないですか。だから、そもそも多民族国家の欧米と比べて、ディベートをする必要がなかったと思うんです。  むしろ相手の言外にある意思を汲み取るという、一段レベルの高いことを本当はやっている。それはたぶん、外国人にはできないんじゃないかなと思います。

論理で人は動かないなんてのは大学を卒業するころにはわかってないといけなくて、論理ってのは「自信をもって行動する」ために必要なわけで行動しないのに論理だけご立派な人というのは世間から見たらカスなんですよね。



これは自分自身がそういうカスだから、だからこそすごく実感がある。

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