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【R18注意】2014年ころに書いた「フラテルニテ」感想

さすがに今になってネタバレも何もないと思うので。
総括以外は公開にします。


物語のスタートから終わっていることを確認するお話


①姉妹が深刻ないじめにあって不登校になってしまい、
②それでもやり直そうと勇気をだした姉のため家族みんなで別の学校に移る
③こんどこそ家族で平穏な生活を守りたいと願っていた矢先、転校先で他の誰かがいじめられているのを見る

これがスタート。

※はたしてこのいじめっ子に見て見ぬふりをしていればその後の惨劇は回避できたのか……というと残念ながら無理。どっちにしろこの時点ではすでに姉が組織に取り込まれていて詰んでる。

「あの場所がゆがんでいるとして、あなたはどうするの?歪んだ場所にお姉さんがいるとして、それをどうしたいの?」 
「お姉さんは心に深い傷を追っていたから、あの場所の心地よさに浸りきってしまっている。今お姉さんからあの場所を奪ってしまったら多分前より悪くなるし、そもそも抵抗する」 

この作品には最初から救いが用意されていない。
SAWシリーズでも、ジグソウのゲームなら生存の目はあるが、アマンダやホフマンのゲームには最初から助かるすべがないのと同じ。
これはホフマンのゲームだ


まじめで正義感が強い主人公は、事件が起きるたび葛藤しながら何とかしようとするが「自分の力不足を認めない」「何かを切り捨てる決断ができない」せいでズルズルと闇に引き込まれていく

「(できることなら守りたい)正義」と、「自分にとって大切なものを守る」の間で揺れ動くのが人間だよなー。 この葛藤が全くなくネットでわめくだけならお気軽でいいけれど現実はなかなか難しい。 両方実現できればいいのだけれど
みんなおかしいと思ってないわけじゃないし、好きで傍観したりするわけじゃない。 ただ「慎重」になってしまう。 「他人と自分を天秤にかけてしまう」のだよね。 自分の余裕がなくなればなくなるほど、他人を気にかけることも難しくなる。 みんなおかしいと思ってないわけじゃないし、好きで傍観したりするわけじゃない。 ただ「慎重」になってしまう。 「他人と自分を天秤にかけてしまう」のだよね。 自分の余裕がなくなればなくなるほど、他人を気にかけることも難しくなる。 

普段はあんまり意識しないけど、いざ自分に自分だけで対処するのが難しい問題が降りかかったりしてくると、社会の成り立ちとか構造とかルールとかがどうなっているのか意識することになる


誰とも相談しないとすぐにBADENDになるが、相談しても「延命」できるだけであり、結局BADENDになる。しかも後になるほど被害者が増える地獄仕様


①まず最初に姉がやばい宗教団体に取り込まれてしまった。どうする?

「あなたはお姉さんが元の、人生に何の希望も持てなくて引きこもっていた頃に戻ってしまう危険を犯してでもあの場所を否定したいの? お姉さんは今、とても幸せそうだけど? それでも、あなたのひとりよがりだったとしても、そうしたいの?」

ここでどう答えるか、だけど・・・

先に進む選択肢はこちら。

「それでもあの場所はよくない」 「あの場所から引き剥がされて、お姉さんがまた引きこもりになったとしても?」「その時は、俺が、俺達家族が支えていく。 引きこもりになったとしても受け入れる」

とてもまともな意見だと思うけれど、この物語では破滅を先送りにすることにしかならない


姉を見捨てるか、姉以外を見捨てるかのどちらかを選べればよかったが、主人公にはどちらも選べなかった


②姉を宗教組織から引きはがすために自分も宗教組織に乗り込むが…

魂の救済というお題について、進研ゼミの広告みたいな安っぽい説明を延々と聞かされるのかなり苦痛。 (進研ゼミが悪いと言ってるわけじゃなく、テーマの重さと語りの程度があってないという意味で)

ただ、実際自分が望んだわけではないのに、いきなり自分の足場が崩れて「まともな社会人」みたいな安定したアイデンティティに復帰することができなくなった人が、藁をも掴むつもりで自分を受け入れてくれる場所や、自分を肯定できる手段を求めるのはわからんでもない。

①歪んだ場所でありながら「あの場所」が姉さんを元気にしているのを魅せつけられ、自分は姉に対して何もできないと感じさせられる 
②また、別のいじめられっ子に対しても、自分が差し伸べた手を強く拒絶され、全く力になれない事をつきつけられる。  

さて主人公がこれをどう受け止めるか。

私だったら、さっきも言ったけど「社会の成り立ち」を考えて、「自分の力だけではできないことがあるのは当然」と思って受け止めて別の手段考えたり、最悪諦めることもできるけれども、この主人公まだ高校生だからな・・・。 
まして今は姉を巡って「非常識なやつら」と張り合ってる段階。

さてさて。

「他人がいじめられているのを観て、気分が悪いと感じるところが、私には信じられないことなの。きっと…あなたは幸せなのね」  
「『普通』に生きて、幸せを感じられるなら、それが一番良いとおもうの。でも、それでは幸せを感じられない私は、いったいどうしたらいいのかしら」 

もうこれどうしようもないから姉を見捨てて逃げるしかなくない?


組織の中で神村さんという「仲間?」を見つけるが…これが悪意のあるトラップになっている


今のところは「常識」サイドの主人公と「非常識」サイドの「あの場所」側で綱引きしあっていて、その中間に神村さんがいて、その神村さんのことを理解していくという展開になっていておもしろ。


いじめてちゃん問題(過剰適応して「いじめられること」こそを居場所だと感じている子をどう救うか)→この作品中では無理

「これが演技で出来ているならたいしたものだ。でも彼女は演じるというよりもそれを無意識に出来てしまっているのだろう。だとすれば、その自己主張のために形造られた精神構造は筋金入りだと言っても良い。この子に付き合わされるいじめっ子が気の毒に思えるほどに」「救いなどというものは存在しない。ただ、救われたと思って、幸せになったと思い込むことはできる。問題が自分の心のありようだけなら、それでも十分なのだろう」「この状況をかえるために無駄な努力をするほど頭が悪くないことが、私にとって唯一恵まれたことと言えるかもしれない」

この作品に出てくるいじめられっ子の心の安定の取り方が読んですげえ不愉快になってしまう自分がいて悩ましい。

「姉さんは元気になったんじゃない。頭の中がふつうじゃなくなって、それであの事件のことも気にしなくなっただけだ。そんなのは過去の傷が言えたとはいえないし、良い方向に向かってるとはいえない」 
「それの何が問題なの?私は今とても幸せなのに?」「普通とは普通じゃないとか、そんなことは私にはどうでもいいの。私にはあそこが必要なの。あそこには私をわかってくれる人がいるの。私を求めてくれる人がいるの」 

ああ、幸せな人には無敵だな・・・。普通かどうかを問題にしないひとに、一般論で語りかけても無駄だというのは、ホント頭でわかっててもなかなか受け入れるの難しい
でもこの作品、割りとトルストイの「光あるうち光の中を歩め」を読んでるような気分になって困る。 「光ある~」は薄い本だけど最初読んだ時に強烈な吐き気を感じて本投げ捨ててしまってそれ以来なので最後どうなったか知らない。「キリストを中心において心安らかに暮らせてる人がちとうらやましい」のキリストの部分を「○○○○」と別のものに置き換えて、それでも清く正しく誰に迷惑を書けることもなく生きられるなら、社会を維持できるなら、それはそれで悪いことではない気もするが、この作品はそうならないんだろうな


「狂った姉」「いじめてちゃん」以外の登場人物も最初はまともに見えるが、みんなとっくに頭がおかしくなっていた。主人公はそれも見抜けなかった

レ○プ被害者だの優等生だのGIDだのいじめられっ子だの容姿に自信がない女性だの。 どうしてもラインナップがありがち、だな。 みんな自分の悩みが特別で、誰にも理解できない、共有もできないと思ってる。 それでいて、「ここ」でなら受け入れられると思ってやがる。「現実の問題を解決する力はない」し、「一時的に自分の心をごまかす効果しかない」ことを知っていて、割りきって利用する人間もいるのね。 

ただ、①どうしても「切羽詰まった人たち」「そこにしか居場所がない、アイデンティティを見いだせない人」が過激になり、原理主義になり、理想主義になることと 
②「現実を置き去りにして理想をもとに場を統率・維持する」場合、経済・政治的問題が発生する  

の2つを乗り越えられない。そうやってこういう宗教組織は最初は楽園だけど結局は周りを巻き込んで破綻していく。

村上春樹が「アンダーグラウンド2」において指摘したのはそういう話だったはず。


最初は傷ついた人たちの互助会だったはずの「友愛の会」は内輪に篭りすぎて先鋭化してしまっていた……(なおこの組織の実態は反社の下部組織)

「驚かれても、ううん、蔑まれたっていいなぁ。どうしたって、その程度のリアクションしかできないものね、にせものの世界のみんなには」「もっと、もっと叩いてもいいよ?じゃないと、気持よくなれないもん」「素敵、これがわたしのほんとうのせかい」  「結局、全ては私にとって気持ちいい、になった。その結果、あいつらに勝つこともできた。私自身も気持ちいいし、見ている人も憂さ晴らしができて気持ちよくなる。全部、誰もがみんな得をする。わたしのせかいでは、誰もがすべて幸せになれる」「私の世界、すごい!なんでこんなに私が望むことがかなっちゃうの!?だったら私も張り切らないと。もっと恥ずかしくて無様な姿を見せないと。 うふふ、そういうの全部お見通しです! さっきもいじめられてたの。 でも、全然平気だった! 勝ったの!私勝ったの!偉いんだよ私!そう思うでしょ?」「彼女はひとつ上の段階に進んだの」

ああ、これはもうだめだ。
にせものの世界とか言い出し始めてしまった。これはあかん。
反ワクの連中と同じだ。どうしてもこうなってしまうんだ。

主人公、もう手遅れだ。お姉ちゃんはあきらめろ。早く逃げるんだ。


「やばい宗教組織」は排他的なのでそれ以外の人間との関係を断絶させてしまう・・・

 「愛のこと助けてあげたい。愛のためにできるだけのことをしてあげたい。だって愛の親友は私だけなんだから。愛のことわかってあげられるの私だけなんだから」「親友・・・?」「えっ」「ごめんなさい。私用事あるから」

まどかさん・・・(´;ω;`) 


この辺りからは同じことの繰り返し、組織の中で狂った人が出てきて、主人公はその人を助けようとするが手をはねのけられる。そして狂った人たちは自滅していくのを見せつけられる

ぶっちゃけ飽きてきた。 最初から結末はわかってるし、話をけん引する要素が「神村愛の秘密」だけなのに、何回も同じような展開が特にひねりもなく繰り返されるだけなのでもう飛ばす。


神村愛は最初から達観していて、あきらめずに友達や家族を救おうとする主人公に冷ややかな目を向けている


「どちらにせよ手遅れよ。 自分が負った傷を傷ではないと思いこむことにした。痛みに目をつぶって、傷跡をごまかすために自分で新しい傷をつけ始めている。今更それは間違いだなんて言われたら、傷だらけの自分と向き合わなきゃいけないのよ? 耐えられると思う?」 
「それは・・・」
「別にあなたや家族をせめているわけじゃないのよ。誰がわるいわけでもない。しかたのないことだわ。」「じゃあ誰が悪いんだ?」「運が悪かったのよ」
「どこからならやりなおせたか、なんか誰にも分からない。多分止められなかったあなたが悪かったわけじゃない」
「(末端の人には)誰にも悪気なんて無い。みんな、自分が間違ってないことを証明しようとするために必死なの。そのために他人を巻き込もうとするの。救おうとして。 そうやって、あそこは大きくなっていくのよ」  

救えねぇ・・・ほんとに救えねぇ・・・


「見過ごすの。見過ごして、本当に助けたい人だけ助けるの。 みんなを助けようとするからあの場所すべてをどうにかする必要が出てくる。でも、お姉さんだけなら、他の方法だって取れるじゃない」

あれ?いきなりEDになってタイトル画面がグロ画像に変わった。

最後まで神村愛を信じる選択肢を選んで生き延びればご褒美に神村愛の正体を知ることができる。もちろん救いなんか最初からどこにもない

「この人は自分がまともだと思っている。俺のほうがおかしくて自分は正しいことをしてるってかけらも疑ってない。もうこの人を助けるのはダメなんだ。そんな段階じゃないんだって俺はようやく気づくことができた。気づくことができたけど、それはあまりにも遅すぎて、その大小は計り知れないほどだった」

神村愛さんすばらしい。  
「鎖」の片桐恵に親しいメンタリティの持ち主。 
私はこういう自分が生き伸びるために他者を躊躇なく踏み台にしていく生命力にあふれた女性キャラ大好きだ。 

そしてさらにタイトル画面が変化する。これが真相編か?


そして、終了。


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