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「世の女性諸氏にぶつかっているのは男性ではなく自分自身なのだと気付いてほしい。そうすれば自分が被害者にも加害者にもならなくて済むだろう。」

なんかすごい記事を読んだ。これと同じ知見が今まで社会学者などからもたらされていないとは思えないんだけどめちゃくちゃ面白いな。

社会学者の皆様、もし今までにこの研究がされていないのであれば、今すぐより正確な形で確認をしてもらいたい。

現時点ではこういう説もあるんだな、ということでメモしておくだけにする


1.男性と男性は互いに0.7人幅ずつずれているので、ぶつからない。
2.男性と女性は、男性が0.7人幅ずれている状態で、残りの0.3をずれるかどうかでぶつかるかが決まる。

男女がぶつかるケースは「女性が0.3人幅避けない」パターンだった。男性はきちんと避けていた。女性が全く避けなかったのだ。男性は不快そうな顔をしただけで行ってしまったが、女性は痛そうにしていた。体格が違いすぎるのだ。私は自分の苦い思い出と重ね合わせつつ同情した。男性の方も少しくらい心配しても良いではないか、と怒りが込み上げてきたが、彼からすれば「自分は0.7も避けてやったのにぶつかってきた」ということになるのだろう。これは客観的に見て正しいし、彼は道理としては被害者ではある。が、やはり痛そうにしている人のことを放っておくのは見ていて忍びない。女性にとっては「男性がぶつかってきた」という記憶となって残ることだろう。誰も得をしていない。


女性同士は軽度の接触事故を多々起こしている。ニアミスもこのパターンが最も多い。女性は、男性よりもむしろ女性にぶつかられている。


確かに女性の方が歩きスマホ率は高かった。しかも見ていて気付いたのは、男性は歩きスマホをしていても前をこまめにチラチラと見ている場合が多いのに対し、女性は前を見る周期が低いかあるいは全く前を見ていない場合が多いということである。全く前を見ない女性は今までよくもまあ無事に生きてきたものだと感心してしまった。が、これも論拠としては弱いように思われる。スマホをしていなくてもぶつかってくる女性は多い。

女性は避ける気がない/避けるという選択肢をハナから持っていない これだろうという気がした。

相手が避けてくれるだろう、自分が避ける必要はない。何故自分が避けなければならない? こういう意識で歩いているのではないかという気がする。そうすれば最もうまく説明がつく。上の危険歩きスマホもこれが根底にあると思われる。考えてみれば口喧嘩でもなんでも、女性の方が自説を曲げることが少ないような気がする。 これがポジティブに女性が胸を張って歩ける社会が来たと見るのか、ネガティブに女性が社会的に甘やかされているためだと見るのか、女性が本能的に傲慢だからと見るのか、どれが正しいのかは分からない。


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